「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

震災 10年を語る 元首相 村山富市さん

神戸新聞Web News 震災10年を語る


元首相 村山 富市さん 
 
危機管理体制なかった/住宅再建策示せず無念 (2004/07/14)


b0067585_2082132.jpgむらやま・とみいち 1924年、大分市生まれ。大分県議などを経て、72年から衆院議員8選。94年6月、自民、社会、さきがけの連立政権で首相に。在任561日。2000年に政界引退。「女性のためのアジア平和国民基金」理事長。大分市在住。(撮影・山崎 竜)
 ―第八十一代首相。阪神・淡路大震災が起きた一九九五年一月十七日、日本のトップだった。初動の遅れに、批判が集中した。

 危機管理の体制がなかった。当時の官邸は、二十四時間対応の仕組みがなく、緊急事態への備えが欠けていた。批判されても仕方がない。

 地震の発生を知ったのは午前六時ごろ、公邸のテレビで。京都の震度が出ていたが、神戸の情報はまだだった。京都の知人に電話をし、「揺れは大きかったが、被害はない」と聞いた。午前七時半ごろ、秘書官から電話があり、「状況は分からないが、被害は大きくなりそうだ」という。午前八時ごろ、官邸へ。死者数がなかなか把握できなかった。正午ごろ、死者が二百人を超えているとの報告を受け、思わず「えっ?」という声が出た。

 ―自衛隊の派遣が遅れたのは、(旧)社会党の首相だったから、という批判もあった。

 絶対にそんなことはない。誤解だ。実際、自衛隊は県の派遣要請を受ける前に、ヘリコプターで被災地の状況を把握し、出動態勢を整えていた。しかし、交通渋滞に阻まれ、被災地への到着が遅れた。震災後、災害対策基本法を改正し、警察官がいない場合でも自衛隊が緊急車両の通行を確保できるようにするなど、さまざまな改善をしている。

 ―初めて被災地入りしたのは、震災から二日後の十九日。これにも「遅い」との声が上がった。

 あの状況で、すぐに私が行けば、現地は混乱するだけだ。被災した人々の要望をまとまった形で聞くには、少し落ち着いてから行くべき。自分でそう決めた。

 ―現地を見てどう感じたか。

 想像はしていたが、大変な状況だった。避難所でもっと話を聞きたかったが、マスコミが殺到し、十分に聞けなかった。避難所の人々は疲れ切っており、先のことを考える余裕がないという印象を受けた。不安が伝わってきた。

 その後、被災地の子どもたちから手紙が届いた。学校名と子どもたちの名前が書いてあり、「みんな一生懸命で、自分たちも水を運んだりしている。復興のために努力してください」というような内容だった。子どもたちも知恵を出し合ってやっているんだ、と感動した。やらにゃいかんな、と。

 ―復旧、復興過程での支援策に、被災者の不満は強かったが。

 あのときの体制でできること、すべきことは、やったと思っている。十六本の法律を改正・制定し、税の軽減などの対策を思い切ってやったと思う。

 ただ、住宅の再建に対する支援が、「私有財産」という壁に阻まれてできなかった。住宅を失い、ローンに苦しむ人たちに助成をしたかった。これには責任を感じている。

 ―震災一年を目前にした九六年一月、首相を辞任した。

 自分の判断だった。下河辺淳さん(元国土事務次官)に委員長をお願いした復興委員会の報告が出て、復興対策も軌道に乗り始めた。

 村山内閣の能力に、限界を感じていた。首相を引き受けた時点で、過渡的な政権だと思っていた。しかし、こういう内閣ができるのも必然性がある。九五年は、戦後五十年の節目の年。(アジアでの植民地支配に反省と謝罪を表明した)八月十五日の首相談話は、大きな仕事だったと思う。

 ―来年で震災から十年になる。思うことは。

 表通りは復興していても、市民の暮らしに入っていくと後遺症があると思う。生活、仕事、心の問題。いろいろなことがあるだろう。

 初動対応については、今のような危機管理体制があれば、もっと迅速にできていたと思う。あれだけの死者を出してしまったことは、慚愧(ざんき)に堪えない。一月十七日の朝は毎年、自宅で黙とうする。亡くなられた方のめい福を祈り、残された家族の幸せを願っている。

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--取材を終えて--
 
時代の継ぎ目を襲った揺れ

 「過渡的な政権」という言葉を聞いて、あの震災は時代の継ぎ目にはまり込んだような年に起きたのだ、という思いを強くした。敗戦から五十年。地下鉄サリン事件もあった。この国のシステムがきしみ、崩れ始めた時期を狙うように、二つの出来事が起きた。

 政府の初動の遅れに対し、被災地には今も、怒りの声がある。あの朝、国の中枢から遠く離れた地で、私たちは置き去りにされた。ほかの首相ならどうだったか、と考える。しかし、がれきの下で力尽きていく人々の息遣いを感じ取り、行動できる政治家が今の日本にどれほどいるだろうか、とも思う。

 今年八十歳。「自責の念が消えることはない」という。その一言に、私は少し救われた気がしたが、甘すぎるだろうか。

(社会部・磯辺康子)

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by miya-neta | 2005-01-17 20:12 | 政 治