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「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

「オウム」後を考える:地下鉄サリン事件10年 宗教学者・島田裕巳さんに聞く

MSN-Mainichi INTERACTIVE


 ◇さらに広がる「自分探し」幻想--宗教に逃げない「ユニクロ世代」も登場

 オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた95年、宗教学者、島田裕巳さんは「教団を擁護し、PRに利用された」などと非難され、教壇を去った。同教団をめぐる一連の騒動の一当事者だったとも表現できる。研究者として極めて特異な立場に立たされてきた島田さんに、オウム事件とは何だったのか、この10年をどう見るか聞いた。【構成・内藤麻里子】

 --95年に島田さんに対するバッシングが起きた。世間には「オウムを評価した」とのイメージもあったが、今振り返ってどうお考えですか。

 島田 根拠のない非難がほとんどでした。最初に事実誤認による報道(教え子の家族にオウムの付属病院への入院を勧めたという記事)が出た時、放っておいたことが問題を大きくした。すぐに法的に対処していたらと思います。無防備でした。私はオウムを擁護したわけではないのに、バッシングのせいで、そうしたイメージがつくられてしまったのだと思います。

 <一連のバッシングの大きな引き金になった「日刊スポーツ」を名誉棄損で提訴。1審は勝訴。2審で和解し、同紙は訂正記事を掲載した>

 --そうではあっても、当時、島田さんだけではないが、オウムは宗教教団として一定の評価を受けていた。

 島田 まっとうな集団と受け取っていたわけではない。単にデタラメなだけではなく意外と宗教らしい、というほどの感じ。中沢新一さんの『虹の階梯』を下敷きにチベット密教を取り入れているから体系的に見えた。彼らが無差別テロを実行するとまでは、予測できなかった。それは宗教学を研究してきた私の反省材料です。

 --松本智津夫(麻原彰晃)被告の教義に従ってサリン事件が起きたという解釈が一般的ですが。

 島田 教義が先にあったのではありません。88年に信者が修行中に亡くなる事故が起きた。東京都に宗教法人の申請をしている時期でもあり、この死を隠した。この出来事を知っていて、脱会を申し出た田口修二さんをリンチで殺害しています。

 殺人を肯定する「ポア」の説法をしたのはその直後、89年4月から9月まで。それ以前も以降もない。同時期に「ヴァジラヤーナ」とも言い出している。グルに絶対帰依し、グルの命令ならどんなことでも実行するのがヴァジラヤーナの修行法「マハー・ムドラー」。殺人を正当化し、殺人にかかわった信者たちの動揺を押さえるために必要だった。最初の事故死を隠すために殺人を起こし、教義ができ、さらにいろいろなものを隠すために事件を重ねていった。典型的な組織犯罪です。

 --「マハー・ムドラー」があったにせよ、なぜそれがサリン事件にまで発展を?

 島田 信者は自分たちの行動についてほとんど考えていなかった。組織が嫌でオウムに入ったケースが多いから、修行はするが教団に意図的にかかわってはいない。実行犯でもサリンがそんなにすごい殺傷能力があるなんて思わなかった人が多い。修行の中で「ワーク」と呼ばれる作業の感覚でやっているだけなので、リアリティーがない。もともと生活にリアリティーがないから、オウムにひかれそのままずっと生活している。だから外側から見ていると予測不可能なのです。

 --そのリアリティーのなさとは何ですか。

 島田 バブルの中でそういう人たちが生まれた。団塊2世より少し上のオウム世代ですね。「一億総中流」を作ってきた戦後的秩序が崩れようとしていたころ、ぽっかりと空いた空白から生まれてしまった。バブルの風潮に乗れず、かといって引きこもりにはならない。「フリーター」「ニート」の原形でしょうか。

 --この10年でその空白の世代は減りましたか。

 島田 オウム世代だけでなく、アリ地獄のように広がっているイメージです。フリーター、ニートは不思議ですね。組織に入ると人生終わってしまうと思い過ぎている。いつか自分の本当にやりたいことが見つかるんじゃないかという幻想が強すぎないかな。

 ただ、一つの傾向として言えるのは、バブルを知らない20代前後は今が普通だと思っているからブランド志向はない。堅実に生きていくしかないから宗教になど行かないでしょう。社会性はあるし、まっすぐで前向きで、私は「ユニクロ世代」と呼んでいます。「オレンジ・レンジ」「バンプ・オブ・チキン」など、この世代のバンドの歌を聴くとそれがよく分かります。

 --日本の宗教の今後は。

 島田 宗教教育が必要だとか、先ほど言った空白を宗教で埋めようとする動きが政治的に強まるかもしれないが、一般には受け入れられにくいのでは。そもそも豊かになる可能性がある社会でないと宗教ははやりません。

毎日新聞 2005年3月17日 東京夕刊
by miya-neta | 2005-03-17 16:00 | 社 会