「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

紀宮さまの文書回答全文 36歳お誕生日

Sankei Web 社会 紀宮さまの文書回答全文(04/18 08:25)

(3-1)

一.「納采の儀」が終わって正式にご婚約が整い、ご結婚に向けて黒田さんと話し合われていることと思われますが、結婚式や新婚旅行、新居など新生活に向けた準備の状況や、お二人のお考えを具体的にお聞かせ下さい。また、お互いを何と呼び合っているのか、ぜひお教え下さい。


 結婚に至るまでの段階や新しい生活については、これまでもお会いした折々に少しずつ話を進め、大体のイメージをお互いに持つようになった部分もあれば、まだ実際にその状態に入らなければわからないという部分もあります。これからは、それらを段々に具体的なものへと進めていくことになると思います。今の時点で、具体的にお話をすることは控えますが、二人でよく話を重ね、周囲の人々にも尋ねながら考えていきたいと思っております。お互いの呼び方については、今まで意識していなかったのですが、まだあまりそのような必要性がなかったからでしょうか、こうというはっきりした呼び方が決まっていないような気がいたします。結婚に向けての準備の中で、そうしたことも自然な形で決まってくるのではないかと思います。


二.結婚して民間人となられる日が近づいていますが、日常の買い物、ゴミ出し、近所づきあい、公共交通機関の利用など初めて体験することや、一市民としての自由な行動など楽しみにしていることもあると思います。これまで取り組んでこられた鳥類研究などの仕事や家事、子育てのことなども含めて新生活をどのように思い描いていますか。新たに始めてみたいことがありましたら合わせてお聞かせ下さい。


 新しい生活に関しては、何と言ってもまだ始まってみなければわからないことが多く、日々を積み重ねながら、少しずつ二人の生活のリズムがつかめてくるようになると良いと願っております。研究所の仕事についても、無責任な形にならないように何らかの形で一応の区切りはつけたいと思っておりますが、個人的な研究はいつでも続けようと思えばできますので、自分の中に大切に持っておきたいと思います。多くのことが慣れないことばかりで、黒田さんにご迷惑をお掛けすることもあるのではないかと申し訳なく思いますし、不安はもちろんありますが、何かを始めるときはいつもそうであるように、戸惑ったり、迷ったり、失敗したりすることも一つの段階として、時には、周囲の方々に助けていただきながら、少しずつ慣れていければ嬉しいと感じております。私自身はこの立場にあっても、幸いに比較的自由な行動ができましたし、本当に行きたいと望んでそれでもなお行けない場所というのは非常に限られていましたので、不自由を強いられていたという思いはあまりありませんでしたが、自分の行動に伴い、どうしても他の多くの人々を煩わせなければならない状態が、自然に色々な行動に歯止めを掛けていた面はあったかもしれません。今までは内親王の立場としてはそれが当然と受け止めておりましたし、実際にもあまり外に出たがる方ではなかったかもしれませんが、やはり多くの人を煩わせずに行動できるというのは、ありがたいことではないかと思います。新たに始めてみたいことは、今のところはありませんが、生活が落ち着くに従って、様々なことを考える余裕も生まれてくるのではないかと楽しみにしております。


三.皇太子妃雅子さまの静養が続いています。皇太子さまは昨年五月、雅子さまの病状に関連して、いわゆる「人格否定発言」をされ、さまざまな論議を呼びました。その後、秋篠宮さまや天皇陛下からも考えが示されました。一連の経過をどのように受けとめられましたか?


 少しずつ外出の機会を持たれるなど、ご回復の傾向におありになると伺っておりますが、妃殿下のご静養が長期に及んでいることに対して、深くお案じ申し上げております。

 私の立場で、一連の経緯に対して多くを言及することは控えますが、ただ、このことを発端として、多くの事実に基づかない憶測や言論が展開されたことは、大変残念なことでした。殊に、これまで皇太子同妃両殿下のご相談に一生懸命耳を傾けられ、新しい世代の行く末を見守り支えようとしてこられた両陛下に対して、いわれのない批判がなされ、海外における日本の皇室観にまで影響を与えたことについては、本当に悲しく思っております。妃殿下のご健康を家族皆が心配しておりますが、両陛下のご健康も守られることを願わずにはいられません。


四.この一年、皇太子さまのご発言や紀宮さまのご婚約内定のほか、天皇陛下のホルモン療法開始、皇后さまの古希の誕生日、皇室典範改正を検討する有識者会議の設置など皇室をめぐるさまざまなニュースがありました。こうした皇室を含めたこの一年間の出来事で印象に残ることをお聞かせください。


 昨年一年、国の内外でどれだけ多くの災害があったかと考えますと、本当に自然災害の続いた困難な年であったと思います。国内だけを見ても、台風に何度も見舞われた地域や、地震の後に水害に苦しみ、更に大雪で被害を受けるなど、複数の災害にさらされた地域もあり、ニュースなどで情報を聞くだけでも痛ましい思いがいたしました。地震など、周期的に発生するものもありますが、異常気象については、今までにない規模のものになっているように感じられ、地球上の現象として心配しております。犠牲者のご冥福(めいふく)をお祈りし、今なお避難生活を続けたり、仮設住宅に住まう人々が早く生活の安定を取り戻されますよう願っております。

 インドネシア・スマトラ島沖地震による津波被害は、その規模の大きさと、内陸部深くまで侵入した折の、建物などの残骸(ざんがい)物が塊になって押し寄せるという、今までに見たことのない津波の映像に恐ろしさを覚えました。度々津波被害を経験してきた日本が早くから支援活動を始め、被災地の防災にも力を注いだ話は嬉しいものでした。

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(3-2)

 今年二月に三宅島の人々の帰島が実現したことや、阪神淡路大震災から十年目を迎えたことをはじめとして、過去の災害が一つの節目を迎えた一年でもありました。三宅島においては、引き続く火山ガスに備える生活や、生活を一から立て直していく苦労を伴う出発であり、また阪神淡路地域では、建物などの再建は進んだものの、経済復興は未だ厳しい状態であり、また住民の入れ替わりによる災害の記憶の風化など新たな課題も出てきていると耳にしています。既に一般の報道からはその姿を消していても、今なお被災後の生活において物理的、心理的に苦しんでいる人たちの話を聞く機会も少なからずあり、災害が年月を経てもその地域の人々に大きな影響や痛みを与えていることについて考えさせられ、また被災当事者ではない者が、そうした災害を記憶にとどめておく難しさも実感いたしました。それと同時に、四年という長い避難生活を経た三宅島の人々が故郷で見せた笑顔や、被災体験を他国の防災計画支援に役立てようとする試み、各被災地で活躍したボランティアたちの姿などは、困難な状況の中で発揮される人々の強さやそこからはぐくまれるものがあることを感じさせ、心強い思いがいたしました。

 スポーツにおいては、プロ・アマチュアを問わず、日本人選手の活躍が明るい話題を呼んだ一年でした。特に、アテネオリンピック、パラリンピックに引き続き、オーストラリアでデフリンピック、長野県でスペシャルオリンピックスが開催され、幅広い層の人々がスポーツを楽しむ機会を得られたことは、大変意義の深いことではなかったかと思います。国際的に活動する日本人として、来月スペースシャトルに搭乗する野口聡一宇宙飛行士の活躍も、多くの人々に宇宙への関心を深め、未来への夢を抱かせるものとなるのではないかと、期待しております。

 皇室の中の出来事としては、まず、一昨年の陛下に続いて皇后さまが古希を迎えられたことが挙げられます。多くのお務めを果たされながら、人々の幸せを願ってこられた皇后さまのこれからの日々が、お健やかで平安なものとなりますよう心からお祈りしております。

 天皇陛下のご治療が始まってもうじき一年を迎えようとしておりますが、今でも毎月のご検査の数値を聞く折には、緊張を覚えます。幸いにもご治療により数値は今のところ抑えられておりますが、これからずっとこのようなことを繰り返していかれる陛下のお気持ちを思うと、つらくなります。医学が進歩した現在、病から完治することはできなくても、共存しながら日常生活を続けている人々がどれだけ多いことかと思います。そうした人々の上を思いつつ、病とともにありながらも陛下がお元気でこれからもお過ごしくださるよう、心から願っております。

 年の瀬に入ってから、高松宮妃殿下が薨去(こうきょ)されました。妃殿下には、私の結婚についてお心に掛けてくださり、直前までテレビで婚約内定の発表をご覧になることを楽しみにしておられたと伺っていましたので、それがかなわなかったことが残念でございます。

 自身のこととしては、やはり、結婚を決めたことに伴い、二度の延期を経た後に行った婚約内定の発表、そして納采の儀を滞りなく終えることができたことが最も大きな事でした。結婚は私自身にとっては大きな節目ですが、あくまで個人的なことだと思って今までまいりましたので、ご縁のあった方々ばかりでなく、外出先で、あるいは沿道などで多くの方からお祝いの言葉を掛けていただき、喜んでいただいたことは本当にありがたく感じました。また、山古志村の被災者の方々からも、温かいお祝いと配慮の言葉をいただいたことは、心に深く残りました。

 鳥類研究の面では、一九八六年から行ってきた赤坂御用地の鳥類調査について、十六年分をまとめて基礎的なデータとして論文に発表でき嬉しく思っております。近年、同調査地において国立科学博物館と合同で行った鳥類調査の成果も間もなく刊行されると聞いており、楽しみにしています。研究所で行っている様々な事業の中でも、昨年は、環境省の委託として伊豆鳥島で行っているアホウドリの保護増殖事業に大きな進展が見られました。デコイと呼ばれるアホウドリの実物大の模型とその鳴き声を用いて、地形条件の悪い従来の繁殖地から、火山噴火による影響が少なく地形も緩やかな新しい場所へ繁殖個体を誘致して増殖を図ろうと、一九九二年から始められたものですが、最初の一番(つがい)目の誘致、繁殖への成功は三年後という早い機会になされたものの、以降二番(つがい)以上の繁殖成功を見ることなく年月がたっていました。昨年繁殖が観察された四番(つがい)の巣で今年に入り四羽の雛が確認され、周辺にも多くのペアを組んだアホウドリが着地していることから、新繁殖地の形成に大きな期待が持たれています。デコイ作戦は、私が研究所に入所した正にその年に始まり、噴火の危険性もある鳥島に出掛けていく所員を見送ったり、現地から衛星通信を用いた無人監視カメラによって送られてくる映像に喜々として見入ったりしつつ、苦労の多い地道な活動の様子を見てきましたので、感慨深いものを覚えます。デコイを利用した野鳥の保護活動として、他国から少しずつ関心を持たれてきているのも嬉しいことです。


五.これまでに、誕生日に合わせて宮内記者会の質問に答えていただいてきましたが、これが最後になります。天皇家の長女として特別な立場で過ごされ、喜びや悲しみなど様々あったと思います。三十六年間を振り返り、心に残ることを、とっておきのエピソードを含めてお聞かせください。


 三十六年間、大きな病を得たり事故にあったりすることなく元気に今日まで過ごすことができたことは、とても幸いでした。特殊な立場にあって人生を過ごしたことは、恵まれていた面も困難であった面も両方があったと思いますが、温かい家庭の中で、純粋に「子供」として過ごすことができ、多くの人々の支えを得られたことは、前の時代からは想像もつかないほど幸せなことであり、そのような中で生活できたことを深く感謝しております。一つ二つの心に残る思い出をエピソードとともに取り出してお話しするのは大変難しいことですが、やはり私にとって本当に大きかったと思えるのは、この三十六年を両陛下のおそばで、そのお姿を拝見しながら育つことができたことではなかったかと思います。

 物心ついた頃から、いわゆる両親が共働きの生活の中にあり、国内外の旅でいらっしゃらないことが多かったということは、周囲にお世話をしてくれる人がいても、やはり時に寂しく感じることもありました。しかし、私には兄弟があり、また子供なりに両親のお務めの大切さを感じ取っていたためもあるのでしょうか、こういうものだと考えていた部分もあったように思います。考えてみますと、当時両陛下の外国ご訪問は全て各国元首が国賓として訪日したその答礼として行われていたものであり、しかも昭和天皇の外国ご訪問が難しかったため、皇太子の立場でありながら天皇としての対応を相手国に求めるご名代という極めて難しいお立場の旅でした。一回のご訪問につきイラン・エチオピア・インド・ネパールというように遠く離れた国々をまわらなければならないため、ご訪問が一カ月に及ぶことも、年に二回のご訪問が組まれることもあり、一度日程が決まれば、それを取りやめることは許されませんでした。同時に、国内においても日本各地の重要な行事へのご出席要望は強く、またその折には両殿下のご希望により、同年代の若い人たちとのご懇談が各地で行われるなどしていましたので、本当に大変な中でご出産と育児に当たられたのだと思います。幼い間は、もちろん両陛下のそうしたご苦労は何も分からずに、極めてのんびりと与えられた環境の中で過ごしておりましたし、両陛下は、皇族としての在り方を言い聞かせたり諭したりして教えることはなさらずに、子供時代には子供らしく自然に育つことを大事にしてくださいましたので、果たして私がいつごろ自分の特殊な環境に自覚を持つようになったのか、今思い出してもはっきりと覚えておりません。ただ、当時皇太子同妃両殿下でいらっしゃった両陛下の、お立場に対する厳しいご自覚や国民の上を思い、平和を願われるお姿、そして昭和天皇や香淳皇后に対する深い敬愛のお気持ちなどは、日常の様々なところに反映され、自然に皇族であることの意味を私に教えたように思います。何よりありがたかったのは、お忙しく制約も多かったはずのご生活の中で、両陛下がいつも明るくいてくださり、子供たちにとって、笑いがあふれる御所の日々を思い出に持つことができたことでした。

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(3-3)

 自分の皇族としての役割や公務について、初めて具体的に深く考えるようになった時期は、高校に入った頃ではなかったかと思います。その頃には、既に成人を迎えておられた皇太子殿下はもちろんのこと、秋篠宮殿下も公務を始められ、まだ時間はあるものの、自分自身の成年皇族としての役割について漠然とした意識を持つようになっていました。日本では皇族の子供たちは、基本的に成人になるまでいわゆる公務に携わることはなく、成人してから急に公務に入るようになるため、ごく自然に様々な公務をこなされる兄宮二人のお姿を拝見しつつ、内親王としての自覚はあっても具体的な皇族としての仕事に触れたことのない私には、成人してからの全てが大変不安な時期でもありました。そのような折に両陛下とご一緒に出席した高校総合体育大会は、大変印象深いものでございました。それは、兄宮二人と同様、私にとってこれが成人するまでに両陛下と地方におけるご公務でご一緒できる唯一の機会であったからです。幼い頃からご両親陛下と離れて過ごされ、他の皇族より早い十八歳で成人を迎えご公務におつきになった陛下のお時代を顧みますと、そのような機会を頂けるだけでも大きな恩恵であったと思います。しかし当時は、この機会に両陛下のお仕事の全てを吸収しなければというような、今思いますと少し笑ってしまいそうなほど、かなり切羽詰まった感じを抱きつつ高校総体に臨んだことを記憶しております。結局、高校三年間の毎年を高校総体にご一緒させていただきましたが、二年目には皇后さまがご手術後でご欠席になられたため、陛下と二人だけの旅となり、それもまた忘れがたい体験でございました。もちろん、高校総体だけで、当時皇太子同妃両殿下でいらした両陛下の日々のお務めに寄せるご姿勢が全てわかったわけではありませんでしたし、何よりも両陛下のお仕事の全般すらつかめていない時代でございましたが、ご訪問の先々で両陛下が人々に対されるご様子や細やかなお心配り、暑さの中、身じろぎもされず式典に臨まれるお姿などより、本当に多くのことを学ばせていただいたように感じております。振り返りますと、皇族としての公務はもちろんのこと宮中行事にも宮中祭祀(さいし)にも出席することのなかったこの頃は、両陛下がお忙しい日々のご公務を欠くことなくお務めになる傍らで、私たち子供たちの話に耳を傾けられ、朝には皇后さまがお弁当を作ってくださり、学校に出掛けるときにはお見送りくださるという日常が、どんなに恵まれていたかということにすら気が付いてはいなかったものです。

 昭和六十四年一月、昭和天皇が崩御されました。私にとって、身近な親族を失う初めての悲しみを体験しただけでなく、昭和天皇の最後の日々を心を尽くして見送られ、お後に残していかれた様々な事柄を丁寧に片づけられ、新しい御代を引き継がれる、という両陛下の一連のご様子が深く心に残りました。そしてまだ未成年ではありましたが御大喪、ついで即位礼、大嘗祭(だいじょうさい)に参列し、昭和から平成への移り変わりの儀式すべてを目の当たりにできたことは本当に貴重な体験でした。

 皇族としての最初の地方公務は、兵庫県で行われた進水式出席であり、初めて言葉を述べたのは、陛下(当時の皇太子殿下)の名代として出席した豊かな海づくり大会(茨城県)においてで、どちらも成人になる少し前のことでした。以来、様々なお仕事をさせていただきました。皇族の務めの分野は多岐にわたるので、その意味での大変さはありますが、幼い頃から両陛下が、私たち子供たちをなるべく様々な世界に触れさせてくださったことも、務めを果たす上の心強い土台になってくれました。軽井沢など私的な旅の折々に、障害児の施設につれていっていただき、子供たちと一緒に自由に遊ばせていただいたこと、沖縄豆記者の子供たちとの交流にご一緒させていただいたこと、海外の日系移住者やハンセン病の歴史を話してくださったこと、また、伊勢神宮、熱田神宮、熊野大社をはじめ各地の神社参拝のため、皇后さまと二人だけの旅を行ったことなどが、子供の記憶としてではありますが私の意識にとどまり、後々、公務や宮中祭祀(さいし)などに当たる折の備えになってくれたのではないかと感じております。

 国内外の務めや宮中の行事を果たす中には、失敗も後悔もあり、未熟なために力が尽くせなかったと思ったことも多々ありました。また、以前にも述べましたが、目に見える「成果」という形ではかることのできない皇族の仕事においては、自分に課するノルマやその標準をいくらでも下げてしまえる怖さも実感され、いつも行事に出席することだけに終始してしまわないよう自分に言い聞かせてきたように思います。どの公務も、それぞれを通して様々な世界に触れ、そこにかかわる人々の努力や願いを知る機会を得たことは新鮮な喜びと学びの時でした。また、第一回目から携わることになったボランティアフェスティバルや海洋文学大賞をはじめ、幾つかの行事が育ち、また実り多く継続されていく過程に立ち会うことができたのは幸せであり、そうしたものは、訪問しご縁があった国々と同様、この先も心のどこかに掛かるものとしてあり続けるのだろうと思います。

 両陛下のお姿から学んだことは、悲しみの折にもありました。事実に基づかない多くの批判にさらされ、平成五年ご誕辰(しん)の朝、皇后さまは耐え難いお疲れとお悲しみの中で倒れられ、言葉を失われました。言葉が出ないというどれほどにかつらく不安な状態の中で、皇后さまはご公務を続けられ、変わらずに人々と接しておられました。当時のことは私にとり、まだ言葉でまとめられない思いがございますが、振り返ると、暗い井戸の中にいたようなあの日々のこと自体よりも、誰を責めることなくご自分の弱さを省みられながら、ひたすらに生きておられた皇后さまのご様子が浮かび、胸が痛みます。

 私が日ごろからとても強く感じているのは、皇后さまの人に対する根本的な信頼感と、他者を理解しようと思うお心です。皇后さまが経てこられた道には沢山の悲しみがあり、そうした多くは、誰に頼ることなくご自身で癒やされるしかないものもあったと思いますし、口にはされませんが、未だに癒えない傷みも持っておられるのではないかと感じられることもあります。そのようなことを経てこられても、皇后さまが常に人々に対して開けたお心と信頼感を失われないことを、時に不思議にも感じていました。近年、ご公務の先々で、あるいは葉山などのご静養先で、お迎えする人々とお話しになっているお姿を拝見しながら、以前皇后さまが「人は一人一人自分の人生を生きているので、他人がそれを十分に理解したり、手助けしたりできない部分を芯に持って生活していると思う。・・・そうした部分に立ち入るというのではなくて、そうやって皆が生きているのだという、そういう事実をいつも心にとめて人にお会いするようにしています。誰もが弱い自分というものを恥ずかしく思いながら、それでも絶望しないで生きている。そうした姿をお互いに認め合いながら、懐かしみ合い、励まし合っていくことができれば・・・」とおっしゃったお言葉がよく心に浮かびます。沈黙の中で過去の全てを受け入れてこられた皇后さまのお心は、娘である私にもはかりがたく、一通りの言葉で表すべきものではないのでしょう。でも、どのような人の傍らにあっても穏やかに温かくおられる皇后さまのお心の中に、このお言葉がいつも息づいていることを私は感じております。

 三十六年という両陛下のおそばで過ごさせていただいた月日をもってしても、どれだけ両陛下のお立場の厳しさやお務めの現実を理解できたかはわかりません。他に替わるもののないお立場の孤独を思うときもありますが、大変な日々の中で、陛下がたゆまれることなく歩まれるお姿、皇后さまが喜びをもってお務めにも家庭にも向かわれていたお姿は、私がこの立場を離れた後も、ずっと私の心に残り、これからの日々を支える大きな力になってくれると思います。そうした両陛下との日々に恵まれた幸せを、今深く感謝しております。

(04/18 08:25)

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by miya-neta | 2005-04-18 08:25 | 社 会