人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

躾と虐待を勘違いする子育ての危険――キレやすい子には理由がある

文藝春秋編 日本の論点PLUS


躾と虐待を勘違いする子育ての危険――キレやすい子には理由がある_b0067585_22483111.jpg
こばやし・つよし
小林 剛 (武庫川女子大学大学院教授)
1934年長野県生まれ。北海道大学大学院教育学研究科修士課程修了。公立高校勤務、福井大学教授、同付属小学校校長等を経て、94年より武庫川女子大学大学院臨床教育学研究科教授、同研究科長。94年、不登校の子どもを対象にした全国初の公立フリースクール・兵庫県立神出学園長にも就任。子どもと直接に向きあう「臨床教育研究者」として、いじめ、不登校、非行など心に傷をもつ子どもとその親の支援に尽力している。著書に『子どもの「心の傷」を読み解く』、編著に『臨床教育学序説』などがある。



「思春期の不安定」だけでは説明できない

 このところ凶悪な少年犯罪に新しい徴候が見えはじめています。それは罪を犯す少年たちが低年齢化していることと、被害者が幼児または児童であることに特徴があります。

 二〇〇三年(平成一五年)七月、長崎市の立体駐車場で四歳になる男児が屋上から突き落とされ死亡しました。加害者は当時一二歳の男子でした。その後二〇〇四年六月、佐世保市の小学校では白昼校内の一室で一一歳の少女が同級生の少女をカッターナイフで刺殺しました。東京・新宿では五歳男児がマンションの踊り場から突き落とされ、幸い死亡は免れました。一三歳女子の犯行でした。

 いずれも加害者は発達的には前思春期から思春期初期の男女でした。このような若年の犯罪はこれまでもありました。二〇〇一年四月には兵庫県尼崎市で六年生の男児が母親を包丁で刺殺しています。同年、福岡県小郡市では、同じく六年生男児が同級生男児を二四カ所刺し、重傷を負わせています。

 このように見てくると、加害者が低年齢の少年の犯罪がここ五年ほどで確実に増加していることがわかります。ではこうした低年齢の犯罪はなぜ起きるのでしょうか。少年達はなぜそのような犯罪をしてしまうのでしょうか。
 ここでは、子どもから大人へ変わる疾風怒濤の心身の変化と不安定さだけでは説明のつかない育ちの問題点を読み解きながら、三つの観点からこのテーマに迫ってみたいと思います。

どんな子どもがキレやすいのか

 まず第一に、心の安定基地を持てないということがあります。子どもが人間として、人として育つためには乳幼児期からの安定した心の発達が重要です。子どもは生まれてから母親や家族の温かい愛情と信頼のなかで安定した情緒、安定した心の発達を遂げていきます。

 こうした心の発達を筆者は「心の安定基地」と名付けています。この心の安定基地が構築できるかどうかは、その後の子どもの育ちにとって決定的に重要です。園や学校で友達に嫌なことを言われたり、先生から叱られたとき、安定基地を持っている子どもはその場で落ち着いて対処できるのです。ところが親や周囲に愛されることが少なかったり、高いプレッシャーのなかで育ったりした子どもは、親や大人の前ではいい子でも、心の安定基地を持っていないため動揺し、キレやすくなるのです。

 安定基地を持てないまま育った子どもが思春期段階を迎え、親子関係や対人関係でなんらかのトラブルに遭遇すると、たちまち混乱し、攻撃的になることは、私たちの臨床でしばしば見かけます。こうした子どもは前思春期の段階から「荒れ」を見せ、犯罪の予備軍となります。この心の安定基地が構築できるかどうかは、もっとも身近な親の育て方にかかっているといってもよいでしょう。

 先に挙げた低年齢犯罪の少年、少女たちの育ちを垣間見るに、安心して安全に安定的に自分が自分でいられる育ちだったとは思えないのです。

 長崎の幼児突き落とし事件についていえば、欠席もなく成績もよい、一見普通のよい子でした。でもこの子は、幼児期からかんしゃくを起こして不安定であり、小学校低学年ごろには落ち着きがなくしばしばパニックになった、帰宅しても家庭は安心の場ではなく、頻繁にゲームセンター通いをしたといいます。こうした少年の行動をつなげてみるとき、心の安定基地を持てないまま思春期になった少年の危うさが見えてきます。

 この点に関しては、佐世保の一一歳女児刺殺の少女にも通じるものがあります。この少女は五年生ごろから荒れの徴候を見せています。母親のこの少女への躾(しつけ)は厳しかったようで、少女の買い物も母親が決め、また遊びに来た少女の友達にも母親が介入し、少女はこの母親に悲鳴を上げていたようです。その悲鳴がホームページに書き込まれています。おそらくこの少女は幼少期から親に愛情深く受け止められず、心の安定基地を構築し得ず、内面にストレスを溜め込みイライラした精神状態にあったものと思われます。

 抱えたイライラを親に向けることができれば、他者に向けることはないのです。ところが親は絶対的な強者なので、それはできません。そうすると悲しいことに、何かキッカケがあったときこのいらだちを他者、あるいは、ときに弱者に向けて晴らすことになります。友だちのささいな言葉、ネットでのやりとり等が一瞬にして攻撃に転ずるキッカケとなるのです。

 このようにみてくると、子どもが育ちの過程で愛情深く心の安定基地を持つことがいかに重要かがわかります。

「殴られて育つと殴る人になる」

 第二に虐待の問題があります。日本の子どもたちは少子化ということもあって、必要以上に親や大人に介入されて育っています。介入が強く、期待が高ければそれだけ子どもはプレッシャーを感じ、拘束感を覚えます。しかし親の側はそれを子どもの躾と思い、一点の疑問も感じません。これこそが虐待の基本的なパターンなのです。

 日弁連が二〇〇一年に行った少年院収容少年四八七名と保護者四二五名の調査によれば、「親が厳しくしつけ、子は虐待と感じている群」が七五パーセントとなっています。親の思いと子の思いのズレがはっきりしています。

 今日、児童虐待は大きな社会問題になっています。その種類は身体的虐待、心理的虐待、ネグレクト(養育放棄)、性的虐待に分けられていますが、共通点は深い「心の傷」です。これまで筆者らの非行臨床に登場してきた少年たちの多くは、虐待によるなんらかの心の傷を抱えていました。二〇〇〇年に法務省総合研究所が行った少年院入所少年調査によると「家庭からひどい虐待あり」は四八パーセント、「軽い虐待」を含めると六五パーセントが被虐待少年なのです。また、二〇〇二年に全国児童自立支援施設協議会が行った調査によると、収容少年の虐待経験率は六〇パーセントを占めています。

 以上のように、各種のデータからも虐待的育ちが非行・犯罪の背景になっていることがはっきりとわかります。やられた子がやるという構図です。

 四年前、大分県で一五歳少年による一家殺傷事件が起きましたが、その少年はいみじくも「親にも祖父にも殴られて育った。殴られて育つと殴る人になる、殴られると人は狂っていく」と虐待と犯行の関係を証言しています。かくして虐待の心の傷が非行・犯罪を生んでいるのです。


犯罪という形で心の空白を埋める

 第三は、子どもが自己存在感を持てないことです。
 多くの親は、親の描いた理想に向けてわが子を叱咤激励します。それは、ときに子どもの心を置き去りにして子どもへの拘束と支配を強めます。こうしたなかで、子どもは子どもらしい自由を謳歌できずに育つのです。

 そんな子どもたちは、親によって主体的判断や創造的考え方をスポイルされて育っているので、彼らは自己の存在感が極めて稀薄で、自己充実感を持てない心の空しさを抱えています。思春期になって自己選択や主体的判断をしなければならないさまざまな場面に直面しても、それができません。この不安といらだち、心の空白を埋めるため、ときとして犯罪という行為に走るのです。これを研究者の影山任佐氏は「自己確認型犯罪」といっています。

 これまでいい子で親のいうなりになっていた子どもが、突如として親や教師への暴力を始めたりするのは、犯罪という形でいわば自己の心の空白を埋めているのです。長崎の幼児突き落とし事件の少年にも、こうした心理を読みとることができます。二〇〇〇年六月に岡山県の一七歳少年が野球部の後輩を金属バットで殴り、自分の母親を撲殺したのも、自己存在感を持てない少年の典型的な犯罪といってよいでしょう。

 以上、思春期の犯罪が起こる主な要因を三つの観点から述べてきました。ここから引き出される大人への課題は、以下に集約することができます。
(1)親は“いい子を育てなければ”というプレッシャーから自由になり、「愛と信頼の子育て」を徹底し、子どもとの心の関係づくりを重視する。
(2)親は、子どもの心を踏みにじり心身に傷を負わせる虐待的子育てをしてはならない。虐待は躾ではない。
(3)子ども一人一人に「自分は自分でいいのだ」という自信と自己肯定感を育ませること。
 これらは極めて重要です。

-----------------------------------------------------------

■推薦図書
『「空虚な自己」の時代』
影山任佐(NHKブックス)
『子どもたちはなぜ暴力に走るのか』
芹沢俊介(岩波書店)
『子どもの心の傷を読み解く』
自著(明治図書出版)
by miya-neta | 2005-09-23 22:47 | 教 育