「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

中之島一家の崩壊 -大阪市・崩れゆく構図- (下)

大阪日日新聞


<下> 「世論を味方に」

みそぎ選挙 市民どう判断

2005/10/20

 大阪市の歴代市長は中馬馨氏から関淳一前市長まで五代、四十年以上にもわたって助役出身者が占めてきた。この最大の支援組織が市労働組合連合会(市労連)と共産を除く市議会与党会派、市OBだが、今回の出直し選挙では関氏は市労連と市OBの支援を求めず、自らの後援会組織を中心に、「市政改革に賛同する市民の協力」で選挙を戦う決意を示す。果たして世論を味方に付けることはできるだろうか。

 「労働組合が政治活動をすることは好ましくない」とし、市労連の支援を受けない方針の関氏だが、一方で自民、民主、公明の市議会与党三会派への推薦要請は行う意向だ。「民主党イコール市労連ではないと思っている」と言う関氏。しかし与党三会派は「辞職同意と出馬への対応は別問題」と態度を決めていない。公明の高田雄七郎幹事長は「政令指定都市の首長選は中央判断」、自民市議団の幹部の一人も「中央がどう判断するか」と現段階では距離を置く。

 そもそも「中之島一家」が形成されてきたこれまでの歴史的な経緯はどうなのか。

 一九六三年の大阪市長選は自民候補に対して、助役の中馬馨氏が「大阪市政革新政治連盟」と社会党(旧)の推薦を受けて当選を果たした。この時に、定期的な労使協議の場がつくられたのが「中之島一家」の始まりとされる。その後、急死した中馬氏の後継として大島靖氏が四期十六年の長期市政を築き上げた。この時期に職員厚遇福利厚生などの「公費天国」が始まったという。

 またこの時期に「『局あって市なし』といわれた縦割り行政の中で、各局が新たな三セクつくりに暴走を始めた」(当時の市会議員)という。そして大阪市政の継承を掲げ八七年十二月に西尾正也氏が市長に就任。

 革新系市民団体「大阪市をよくする会」のメンバーは「西尾時代はまさにバブル景気に浮かれ次々にアジア太平洋トレードセンターなど三セクが開業、此花地区にユニバーサル・スタジオ・ジャパンの誘致が決定された」と指摘する。また、西尾氏は九五年に二〇〇八年年大阪オリンピック招致を提唱し、後継の磯村隆文氏に引き継がれた。磯村時代の九七年には大阪ドーム、クリスタ長堀、フェスティバルゲートが相次いで開業するが、いずれも破たん。磯村氏は「国際集客都市構想」を掲げたが、五輪招致には惨敗した。

 そして磯村市長の後継の形で助役だった関氏が同じく「中之島一家」の支援を得て、〇三年十一月、十七代市長に就任した。しかし、このあとカラ残業やヤミ年金・退職金、職員厚遇など一連の問題が相次いで発覚。関氏自身も局長、助役時代の責任が問われた。関氏は今度の出直し選では「市政改革マニフェストをより一層強力に推進するための出馬」として、市労連、市OBの支援と決別。市政改革に賛同する市民の協力や関西経済界の支援を視野に入れているという。

 思い切った過去との決別宣言だが、市民グループ「見張り番」の松浦米子代表世話人は「みそぎという名で助役時代の責任を回避している」と関氏の再出馬を批判、市民派候補の擁立を図る考えだ。

 これまでのしがらみを断ち切る形での選挙戦になることは間違いないが、市民は関氏の出直し出馬をどう判断するのか。ただ、“集票マシン”としての「中之島一家」の機能は停止することになりそうだ。
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by miya-neta | 2005-10-20 07:35