「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

フジモリ元大統領出国、南米チリへ/「亡命」中に対米工作

Web東奥日報 断面2005


2005年11月7日(月)

 日本を極秘出国し、六日、南米チリに入ったペルーのフジモリ元大統領(67)。大統領選の立候補届け出締め切りまで二カ月のタイミングで大きな一歩を踏み出した直後、チリ当局に拘束された。日本での事実上の亡命生活という「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」(同氏に近い関係者)の陰で、米国への根回しなど、復権工作を続けてきたフジモリ氏。大統領復帰計画は拘束で揺らぐのか。

 ▽大きな借り

 「計画実現のため、五年間待ち続けた」

 フジモリ氏は出国に際し、こんなメッセージを在日ペルー人が運営するウェブサイトに残し、チリ入国が練り上げられた計画の一環であると強調。さらに「私の先祖である日本国民に大きな借りができた」と述べ、感謝の弁も忘れなかった。

 二〇〇〇年に三選を果たしたフジモリ元大統領だが、同年、側近の汚職疑惑が発覚した。

 外遊で訪日中の同年十一月、辞表を提出。その後、東京都内の作家曽野綾子さん宅に始まり、国会議員らの支援でマンションなどを転々とした。知人が経営する都内のホテルに落ち着いたのは、辞表提出から一年以上たった〇一年末だった。

 この間、石原慎太郎東京都知事ら支援者と頻繁に面会する傍ら、日本語の回顧録など数冊を執筆。フジモリ氏を支援する団体や大手企業が主催する講演会では「大統領への道」と題し、熱弁を振るった。

 講演会を主催した団体代表は「講演料は一回数十万円が相場」と話す。フジモリ氏はこれらの金や支援者の寄付などで復権工作を行ってきた。

 またペルー国民に自らの考えを伝えるためにウェブサイトを運営。ほぼ終日、パソコンをインターネットに接続し「チーノ(フジモリ氏の愛称)はペルーに帰る」とメッセージを発信し続けた。

 ▽最終関門

 日本での活動中、元大統領が最も心を砕いたのが、米国政界との関係改善だった。元大統領は任期後半、独裁化したため、当時のクリントン政権の怒りを買い、失脚の遠因になったからだ。

 しかし、今は「テロとの戦い」を進めるブッシュ政権。左翼ゲリラなどを強権的手法で一掃したフジモリ氏とは「反りが合う」(日本の中南米外交筋)と言われる。

 フジモリ氏は昨年、米政府に独自のパイプを持つ日本の評論家らに接近した。今年に入ってからは、日本の財界の紹介で米国の有力議会議員と接触。元大統領は夏ごろ、周囲に「米国とは話がついた」と漏らした。

 ある関係者は「米議員のペルー利権を温存する見返りに、米国は復権を黙認するとの取引だろう。対米関係が出馬への最終関門だった」とみる。

 機を同じくし、フジモリ氏は九月中旬にペルーの新旅券を入手。十月六日の講演会では「(出馬は)もはや可能性や選択肢の問題ではなくなった。ペルーのために働く」と立候補宣言した。

 ▽次の一手

 フジモリ氏のチリ入国を受け、ペルー政府の動きは早かった。チリ有力紙によると、ペルーのトレド大統領は六日、チリのウォーケル外相に電話で送還を迫るとともに、予備拘束を文書で要求。即時送還は拒否されたが、フジモリ氏拘束で、ペルー側は面目を保った。

 フジモリ氏は今後、チリ最高裁がペルーの引き渡し要請を認めれば、同国に引き渡され、ペルー側で逮捕される。最高裁が嫌疑不十分とした場合、拘束を解かれるが、日本に送還する可能性も。

 同氏をよく知る関係者は「拘束は織り込み済み。次の一手は考えている」と自信を見せるが、詳細を問うと口をつぐんだ。
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by miya-neta | 2005-11-11 15:41 | 国 際