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「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

元日本兵:63年ぶりに親族と対面 涙で抱き合う 盛岡

今日の話題:MSN毎日インタラクティブ


63年ぶりに一時帰国し、涙ぐみながら妹の上野タケさん(右)、弟の左舘丑太郎さん(左)、妹の下城ハナエさん(下)と手を握り合う上野石之助さん(中央)=で20日午後3時14分、長谷川直亮写す



 元日本兵の上野(うわの)石之助さん(83)=ウクライナ在住、岩手県洋野町出身=が20日、盛岡市で親族と63年ぶりに対面した。涙で弟や妹と固く抱き合い、「会えてうれしい」と万感の思いを伝えた。上野さんは太平洋戦争中の1943年に樺太(サハリン)に出征。戦後も現地にとどまったが、58年から消息不明になり、00年に戦時死亡宣告が出されていた。【林哲平】

 ◇言葉短く「運命だった」

 「ただ、運命だったと思う」。旧陸軍兵士の上野(うわの)石之助さん(83)は、ほほ笑みに時折ため息を交えながら、太平洋戦争、米ソ冷戦と時代に翻ろうされた人生を、ごく短い言葉で振り返った。

 上野さんは20日午後、63年ぶりに古里の岩手県に戻った。県庁の知事応接室で待ちかまえていた弟の左舘(さだて)丑太郎さん(81)、妹の下城ハナエさん(75)、上野タケさん(69)らに歩み寄り、「私のかわいい妹たちよ」とロシア語で語りかけ、一人一人としっかり抱き合った。左舘さんは握りしめたハンカチであふれる涙をぬぐった。上野さんも瞳をぬらし、唇を震わせて再会の喜びをかみしめた。

 記者会見で上野さんは「まだ感動で言葉が出てこない。まずは両親の墓参りをし、親族に会いたい」と話し、つらい日々をどうして乗り越えたのかとの質問には「どんな状況であっても生きていく。それしかないと思う」と気丈に答えた。弟の左舘さんは「なんとも言えず、涙だけです」と言葉少なに喜びを語った。

 上野さんは髪こそ真っ白だが、長旅の疲れを感じさせない元気な足取り。日本語は話せなくなったといい、会話はすべてロシア語だったが、増田寛也知事が日本語で話しかけると、通訳を待たずに笑顔でうなずいた。

 県などによると、上野さんは戦後、樺太(サハリン)の製材工場などに勤めた後、1960年ごろにウクライナの小都市に移った。現地の妻との間に1男2女をもうけ、今回の一時帰国には長男のアナトリーさん(37)も同行している。

 上野さんは20日夕に生家がある洋野町に帰郷。両親の墓参などをして、28日に日本をたち、ウクライナに戻る予定。【林哲平、念佛明奈】

毎日新聞 2006年4月20日 20時12分 (最終更新時間 4月21日 0時06分)
by miya-neta | 2006-04-20 20:12 | 社 会