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「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

学力とは何か:インタビュー 佐藤学・東京大学教授

MSN-Mainichi INTERACTIVE 学力とは何か


インタビュー(2の上) 佐藤学・東京大学教授


 学力とは何か。2回目は全国の小中学校で「学びの共同体」の実践に取り組む佐藤学・東京大学教授に聞いた。「学びの共同体」は、子供たちが少人数のグループに分かれ、共同で学習課題に挑戦する教育法で、小学校では1000校以上、中学は300校以上が取り組む。低学力の学校ほど学習課題を難しくするという佐藤教授は「習熟度別学習やドリル学習で学力が向上すると思うのは落とし穴。社会全体の学力格差はますます拡大する」と指摘する。【岡礼子】

◇習熟度別学習、ドリル学習では学力は向上しない

--学力低下が言われ、習熟度別学習やドリル学習に取り組む学校が出てきました。

 ドリル学習、習熟度別学習が普及することで、ますます低学力になっています。肝心なことは、学びの質をどのように保証するか。さまざまな学力テストの結果を見ると、実は読み書き、計算の力は落ちていない。問題なのは、問題解決や探求、適切な情報を選択して思考する力。教科書で言うと発展問題を考える力です。ところが、みんな大騒ぎして計算問題などに時間を注いで、さらに学力が低下する結果になっている。

--習熟度別学習は効果的ではない?

 諸外国でも効果を上げている例はありません。上位6分の1とか8分の1の子供たちにとっては有利に機能しますが、中位、下位の子供たちはより下のレベルに落ちてしまう。また、日本でも経済的に恵まれている子もいれば、そうでない子もいます。習熟度別に3段階に分けると、明らかに上位には、経済的にも上位の子が、下には下の子が集まる。差別の再生産としての機能が大きいのです。

--しかし、習熟度別は「子供の能力に応じた分かりやすい授業」と言われます。

 アンケートを取ると、習熟度別に賛成の意見は多いです。子供にとっても、今まで分からなかったことを丁寧に教えてもらえる。教師にとっても、これまでよりじっくり教えられて手ごたえを感じるわけです。これが“罠”。

--“罠”とは?

 習熟度別学習で分かりやすく教えられるのは、レベルを下げて、時間をかけているから。しかし、上位の子たちはどんどん発展問題をするのに、下位の子は例題1で止められてしまう。それではできないままです。

--例題1をしっかり理解することよりも、発展問題に挑戦することが大事?

 もちろんです。学力には「下から積み上げる学力」と「上から引き上げる学力」があります。具体的な例を挙げると、教育内容の削減で小学校では台形の面積を教えなくなりましたが、ほとんどの子供は台形の面積について学ぶことで、三角形の面積の理解が進む。“腑(ふ)に落ちる”わけです。

--台形の面積を求めるのに、三角形の面積の求め方を応用するからですね。

 学校の学習は、より抽象的で高度な内容を学ぶことで、低次の学習が強化される形になっています。経験すればいいというものではない。他の例で言うと、木の葉をいくら集めても光合成のことは分からないでしょう。しかし、光合成の概念を知ることによって、木の生命の不思議とか、海の底でなぜ昆布が生きられるか、といったことが分かる。

--ドリル学習も効果はないですか?

 計算や漢字は活用を通して身につくので、機能的に学ぶ必要がある。反復練習で身につくのは、体で覚えることです。幼稚園児のころにアメリカで暮らして英語が話せたとしても、帰国して中学1年生になった時には話せないでしょう? しかし、発音は残る。自転車の乗り方も同じです。

--では、反復練習で効果があるのは体育や音楽?

 そうです。国語でもリズムや語感は反復練習で身につきます。意味が分からなくても、俳句や論語を暗唱するのは非常に重要なことですよ。その代わり、良いテキストを使わないとマイナス効果になります。

--計算や漢字は反復練習では身につかない?

 あなたは九九ができますね? それは3年生の時に暗唱したからではなくて、その後九九を使ってきたからです。基礎的な知識を身につけるには、活用の場を作ると効果的です。例えば、2年生から6年生までの漢字を一通り書いて覚えても、5年生の漢字に取りかかるころには2年生の漢字は忘れてしまう。それよりも、野球が好きな子には、野球ニュースを毎日書かせて話し合う方がいい。新聞も読むようになる。

(つづく)

 2006年5月29日

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学力とは何か:インタビュー(2の中) 佐藤学・東京大学教授

「低学力の学校ほど学習課題を難しくする」と語る佐藤教授◇頭がじんじんするくらい難しい問題に挑戦 できる子もできない子も伸びる

--どうすれば低学力を克服できますか?

 少人数グループで共同で学ぶことで、学力が向上した例がたくさんあります。多くの教師は、自分が頑張れば生徒もよくなると思っていますが、それは間違い。5、6人ならできますが、小学校のクラス担任は40人、中高校は250人持っています。大量の仕事を抱えている中で、とてもできないでしょう。

--学力はグループ学習で向上する?

 例えば、「光合成」という言葉を、意味が分からないままグループの話し合いなどで使ってみる。友達に説明してみる。これを繰り返すことで自分のものになります。低学力の子供は、それまでに「分からない」ということをたくさん経験しています。分からなかったことが、ジグソーパズルが埋まっていくように分かってくると、学力は急激に上がる。知識は“つながり”ですから、いろんなことが一気につながって分かっていく。

--学習内容のレベルを下げても、学力は向上しない?

 日本の学校の授業はレベルが低すぎる。レベルを下げれば分かりやすいというのは大きな間違いです。学校の「学び」は強制されるものですが、40人のクラスで先生の話を聞いて、ひたすらノートを書くのは一番強制力がない。4人程度のグループで課題を与えられて一緒に考えさせると、非常に強い強制力が働きます。子供同士も責任を持ちますから。お互いに分かるように学びあう。学力を上げるためには、学びの質を高めること。学習内容のレベルを高く設定して、子供たちの学びあいを組織していくことです。驚くほど上がりますよ。

--低いレベルではだめ?

 高くないと意味がありません。僕は「背伸びとジャンプのある学び」と言っています。習熟度別学習は、分かるところまでレベルを下げて学習するので、いつまでも飛躍が起きない。知識は常に外部から来ます。少人数の共同的な学びについていくのは大変ですが、他者との共同の学びの中でこそ、学力は向上します。

--分かった子が分からない子に教えるということ?

 違います。「分かった子は教えてあげて」と言うのはだめです。分かった子が自分の考えを相手に押しつけ、分からない子は答えをただ待っているだけになる。できる子はおせっかいに、できない子は依存するようになって、どちらも伸びません。子供同士の関係も悪くなる。

--では、どうすれば?

 できない子は「ここ、どうするの?」とどんどん聞いて、できる子はそれに答えていけばいい。説明したのに分かってもらえないと、教える側も一生懸命になりますよ。そこに学びが起きる。分かるレベルにはいろいろあります。単に自分が「できる」レベル、できたことが「説明できる」レベル、「教えられる」レベル、「相手の学びを支援できる」レベル。相手の学びを支援できるレベルが一番高いです。自分とは違う考え方を理解しなければなりませんから。この一番高いレベルを目標に設定する。これが学びあう関係を作ること。対等の関係です。できる子もどんどん伸びます。

--子供には、どのように教えればいいのでしょう?

 子供たちは上手だよ。先生は「分からなかったら、どんどん友達に聞くんだよ」と言えば、それで十分です。それを習慣化すること。友達のを写しすところから始めてもいい。でも、「隣の子のを写していいよ」と言うのを嫌う先生は多いね。

--写すだけで、自分で考えないと思うからでは?

 その見方は子供に対して失礼だよ。子供にも自尊心がある。1回目は写しても、2回目は自分で考えるよ。写しながら考えたり、写しながら聞くようになる。まず写すこと。なぜなら、できない子ほど自分ひとりで何とかしようとする、自分の考えで乗り切ろうとする。人から学ぼうとしない。子供たちは実によく知っていて、聞かれないと知らんふりしているし、知らんふりしながら、その子をちゃんと見ています。

--まるで先生ですね。

 先生以上ですよ。僕はそういう姿を見ているから、学びあう関係は「さりげないやさしさ」と言っています。教えあう関係はおせっかいの関係。できる子が威張り、できない子はどんどん卑屈になる。社会的な問題でもありますが、社会的弱者と言われる人たちは、救済を待つようになると弱い立場から抜け出せなくなる。そのうち世の中を恨むようになってしまう。できない子がそうなったら最低でね。そうならないためには、援助を待つのではなく、自分で援助を引き出す能力を持たないとだめです。

--学力向上に必要なのは“ジャンプ”のある学び?

 頭がじんじんするくらい難しい問題に、精一杯挑戦する必要があるんです。それを共同でやることで、学力は一挙に上がる。低レベルの問題をいくら解いても、“ジャンプ”は起きません。学習課題のレベルを下げて、分かりきったことをくどくどやるのは、「基礎が分からない子が多い」という教師の理屈ですが、間違いです。できない子、分からない子ほど、分かりきったことをやるのは大嫌いですよ。逆に挑戦する授業が好きです。僕は、低学力の学校ほど学習課題を難しくします。低いレベルでやっていたら絶対伸びません。挑戦する中で力をつけていく。

(つづく)

 2006年5月30日

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学力とは何か:インタビュー(2の下) 佐藤学・東京大学教授

「子供同士も、学びの協力関係を作らなければなりません」と語る佐藤教授◇子供は学び続ける限り崩れない

--佐藤教授が実践している「学びの共同体」とは?

 学校を子供たちの学びあいの場にするということです。子供だけではだめで、校長がビジョンと哲学を持ち、先生同士が専門家として学びあうこと。校長も含めて全教員が、授業者として自分の授業を公開して検討しあって、どこで子供がつまづいたか、どこで学びが発展したか研究します。そして親が連帯して支えるシステムも必要です。これら全体の設計のことを「学びの共同体」と言っています。

--学校を「学びあいの場所」にする?

 そう言うと、みんな納得しますが、現実の学校はそうなっていないでしょう。子供たちはますます学校が嫌になって、どんどん落ちこぼれていく。誰も責任を取らないからです。校長が責任をとるべきですが、日本の校長はそう思っていない。そこが問題です。「学びの共同体」作りをするときは、校長がすべての子供の学ぶ権利を保障します。1人1人の子供を見て、困っている先生を援助する。そして、学年の先生も、全員が子供1人1人の学びに責任を持つ。子供の責任も大きいです。

--子供にも責任が?

 子供同士も、学びの協力関係を作らなければなりません。これは子供の責任です。今の学校では教師だけが責任をとろうとしていますが、子供も主人公です。僕は小学1年生にも、「1年後に、この中の1人でも勉強が嫌になったらみんなの責任だよ。お互い支えあって、高いレベルに挑戦できる子になろうね」ときちんと言います。子供同士の協力と連帯があって初めてみんなが伸びる。だから子供にも責任を要求します。問題行動も、不登校もほとんどなくなります。

--学ぶことが楽しくなると、学校に行きたくなる?

 そうですよ。学ぶのは楽しいもの。その代わり苦労も伴いますが、みんなで支えあってやりますよね。僕自身も驚くほど、どんな底辺校も困難校も、一気にトップレベルになります。子供は学び続ける限り、どんなに家族が崩れようと、友達が崩れようと崩れません。社会を肯定的に受け止められるようになるし、嫌なことを許容する力もつく。逆に、学びに希望を失った子供は簡単に崩れます。世の中を恨み、大人を敵に回すようになる。学ぶ権利を保障することが、子供にとってどんなに重要かを考えるべきだと思う。「学校を学びあいの場所に」と言うのは、簡単な言葉ですが非常に重要なことです。

--学び続ける子供たちを、教師はどのように教えていけばいいのでしょうか?

 これからの教師は教える専門家ではなく、学ぶ専門家になってもらわなければなりません。知的レベルを上げ、子供の学びを支援できる教養と専門性、個別の教科の能力を身につける必要がある。「学びの専門家」としての教員養成に取り組んでいる教育機関はまだありません。大学院でやるべきでしょう。東大では今年から始めます。大学だけではできないので、学校や教師と協力して、学びの共同体を築ける高いレベルの教師力を育てるシステム作りをする。「学び」とは対話です。学習対象との対話、教材との対話、教師や仲間、自分自身との対話。ひとりでがんばる“勉強”の時代は終わりました。これからは「学び」の時代です。

◇さとう・まなぶ 1951年広島県生まれ。東京大大学院教育学研究科博士課程を修了。04年4月から06年3月まで東京大教育学部長。「『学び』から逃走する子どもたち」「学力を問い直す-学びのカリキュラムへ」(ともに岩波ブックレット)「学校を変える 浜之郷小学校の5年間」(小学館)など著書多数。

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 2006年5月31日
by miya-neta | 2006-05-29 07:26 | 教 育