「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

O157集団食中毒から10年、今も6人が運動制限 堺

asahi.com: 関西


2006年07月10日

 堺市で96年7月、学校給食が原因で9500人を超える患者を出し、児童3人が死亡した病原性大腸菌O(オー)157による集団食中毒から10年。当時の子どもたちは高校・大学に進学したり、社会人になったりしたが、今も後遺症に悩む人がいる。2遺族を含む21人との補償交渉も、まだまとまっていない。一方、この事件をきっかけに、学校給食は様変わりし、生の野菜や果物が姿を消した。

 「こんな悲しい事件は、決して忘れないようにしましょう」。O157食中毒で6年生女児(当時)が亡くなった市立三原台小学校(堺市南区)の山田久仁子校長は、10日の朝礼で全校児童に呼び掛けた。

 この日は、事件に合わせて堺市が定めた「学校安全週間」の初日。1年生女児が亡くなった市立新檜尾台小学校(同)でも、体育館で全校集会が開かれ、黙祷(もくとう)をした。

 10年たっても後遺症に苦しむ人は少なくない。堺市は溶血性尿毒症症候群(HUS)を併発した150人を含む195人を追跡検査の対象としているが、昨年、受診した60人のうち6人は、腎臓疾患などで、競走や競泳のような「強い運動」を制限するよう指導された。このほか37人が運動制限はないものの「経過観察が必要」とされた。

 当時、小学2年生だった女児は、下痢と発熱で10日間苦しんだ。その後、祖父から提供された腎臓を移植した。毎日、免疫抑制剤など数種類の薬を飲まなければならないが、今は高校3年になり、受験勉強に打ち込んでいる。

 女児の母親は「食べ物に敏感だった娘も、時の流れとともに少しずつ記憶が薄れ、恐怖が軽減してきている」という。

 ただ、当時の市や学校の対応には今も疑問を感じている。

 女児は集団食中毒の3年前にも、大阪府北部の別の地域でO157に感染していた。母親は事件直前、小学校に電話し、O157対策をただしたが、学校側は「全食材が加熱調理とはならないが、洗浄をより丁寧にするよう言われている」というだけだったという。

 母親は問題を風化させないよう、「被害があった学校は、必ず過去の事実を、旧校長から新校長へ引き継いでほしい」と話している。

    ◇

 堺市は事件後、市内を7ブロックに分け、学校給食の献立や食材の納入業者を変えるなど、万一の場合でも被害を最小限に抑える態勢をとった。

 文部省(現・文部科学省)も翌年、「学校給食衛生管理の基準」を定め、食材の「原則加熱調理」を打ち出した。生野菜を使用する場合は「必要に応じて消毒すること」とされた。

 堺市は生野菜の使用そのものをやめ、おかずは煮物、揚げ物、焼き物、汁・スープ類が主体となった。缶詰も中身を加熱し、野菜いためや焼きそばも「加熱むらが起きやすい」という理由で、献立から外す徹底ぶりだ。

 堺市教委の保健給食課はいう。「他の自治体はいため物を出しているが、大きな被害を出した堺では、より慎重にならざるを得ない」

 文科省学校給食係が04年度、全国の533校を調べたところ、生野菜を使っていたのは1週間(5日)のうち、平均0.1日しかなかったという。

 衛生管理の徹底で、給食による食中毒の件数は、O157集団食中毒が発生した96年度の18件から年々減少し、近年は4、5件で推移している。O157による食中毒も学校給食では発生していない。しかし、今年4月、甲府市内の3中学校で、ノロウイルスによる食中毒に500人以上が感染するなど、新たな課題も浮上している。
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by miya-neta | 2006-07-10 08:12 | 社 会