「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

【主張】同和行政見直し 差別解消の原点に戻ろう

コラむニュース:イザ!


2006/07/31 06:35

 地方自治体が同和行政の見直しを迫られている。特に多くの被差別部落がある大阪市では、同和行政をめぐる不祥事が相次いだこともあり、すでに13事業について来年度から廃止されるなどの見通しとなっている。このさい差別解消の原点に戻って考えるべきだ。

 同和行政が本格的に取り組まれ出したのは昭和44年、内閣同和対策審議会の答申をうけて同和対策事業特別措置法ができてからである。

 それまで被差別部落のほとんどは劣悪な住環境にあった。根強い差別によって就職の機会が奪われ、経済的困窮で十分な教育を受けられない子供たちも多かった。それが新たな差別意識を生んでいくという状態だった。

 こうした「差別の循環」を断ち切るためには「差別解消」を叫ぶだけではなく、行政の力で環境を改善し、教育を充実させ、雇用を促進していかなければならない。それが同和行政の原点であった。その後、住民らの要求も受けながら同和対策が進められた結果、住宅を中心に被差別部落をとりまく環境は相当程度改善された。その意味では差別解消に向け、大きな役割を果たしたことは間違いない。

 しかし、その一方でさまざまな問題も起きてきた。特に今年になって大阪市内の部落解放同盟支部長でもあった財団法人の理事長が、事実上の同和対策事業として市開発公社から委託されていた駐車場の売上金から1億円以上を着服したとして逮捕された。

 差別解消という崇高な理念からかけ離れた行為であることは言うまでもないが、責任は行政側にもある。ひとつの同和対策事業が軌道に乗ると、理念に合致したものかどうか精査することもなく漫然と続ける。そうした「事なかれ主義」が、利権漁(あさ)りを許すという結果に繋(つな)がったといえる。新たな差別意識を助長する恐れもある。

 不祥事に加え、時限立法だった一連の特別措置法が4年前に失効し、国からの財政的裏付けがなくなったことも考えれば、見直しは当然だろう。

 それも数字合わせばかりではなく、差別解消のため必要なものとそうでないものを峻別(しゅんべつ)すべきだ。「モノ」中心の行政からの転換も必要だろう。環境は改善されても、差別そのものがなくなったとは決して言えないからだ。
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by miya-neta | 2006-07-31 06:35 | 政 治