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「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

世界へ宇宙へ即席めん 故安藤百福・日清食品会長

asahi.com:ビジネス


2007年01月06日07時19分

世界へ宇宙へ即席めん 故安藤百福・日清食品会長_b0067585_204445.jpg 安藤百福さんと即席めんの歴史は、日本経済の歩みと重なる。戦後の焼け跡に見たラーメンの屋台に群がる人々。それが原点だった。「食足世平(しょくそくせへい)」(食が足りてこそ世の中が平和になる)は後年、安藤さんが造った言葉だ。
「チキンラーメン」を食べる日清食品創業者の安藤百福会長=04年8月、日清食品本社で

 七転び八起きの人生ドラマだった。日本統治下の台湾生まれ。持ち前の商才を生かし、商都・大阪を舞台に繊維問屋で財をなす。戦時中は物資横流しの疑いで獄中生活も。疑いは晴れたものの辛酸をなめた。

 戦後は貿易業などで大金をつかむが、脱税容疑で連合国軍総司令部(GHQ)に逮捕されるなどで無一文の振り出しに。そこから寝食を忘れた即席めん開発の日々が始まった。

 売り出されたのは58年、安藤さんは48歳。遅咲きのスタートとなったが、「チキンラーメンの発想にたどりつくのに必要な歳月だった」。1万円札の発行、長嶋茂雄のプロ野球デビュー、東京タワー完成、そして皇太子妃(今の皇后陛下)に正田美智子さんが決まりミッチーブームにわいた年でもあった。

 残業や受験勉強の夜食、出稼ぎ農家と単身赴任者、それに母親が不在がちなカギっ子向けと、即席めんは時代の申し子だった。「ラーメンからミサイルまで」と、世界に雄飛する総合商社のコピーにもなった。簡便性を一段と強めたカップめん「カップヌードル」の登場は列島改造ブーム前夜の71年、その食べ歩きは若者のファッションにさえなった。

 失敗もあった。自信満々で開発したインスタントライスは、時代に合わず返品の山。しかし、撤退の決断は速かった。当時の資本金の2倍、30億円の投資が「授業料」だった。

 晩年まで、自社のすべての商品の味見をするほどで、食にかける情熱は衰えなかった。日清食品が宇宙航空研究開発機構と共同開発した「宇宙ラーメン」は、宇宙飛行士の野口聡一さんの手で、05年夏、米スペースシャトル・ディスカバリーに持ち込まれた。安藤さんは「ラーメンが宇宙に行くなんて夢のようだ」と笑顔で語った。

 06年8月には大阪市内で記者会見し、08年に世界の即席めんメーカーが消費拡大策などを話し合う「世界ラーメンサミット」を大阪で開く計画を語り、「日本からまいた即席ラーメンの種が広がった」と胸を張った。
by miya-neta | 2007-01-06 07:19 | 経 済