「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

【正論】坂村健 自らの力で変われる日本を目指して

コラむニュース:イザ!


2007/02/28 07:01

 ■「破壊的創造」できる柔軟な国の形に

 ≪極端な技術偏重の日本≫

 近年になり「イノベーション」が先進諸国の政策の大きな課題として語られるようになった。日本でも「イノベーション25戦略会議」を頂点として、各省庁にイノベーション推進施策を検討する委員会を設け、政府の中心政策に反映させようとしている。
 世界的に見るとこれは決して早い方ではない。米国では1998年の調査報告書からはじまり2004年12月に政策提言「イノベート・アメリカ」-別名「パルミサーノ・レポート」が発表され、多くの国に影響を与えることになった。ヨーロッパでは2006年1月に「革新的なヨーロッパの創造」と題する政策提言が欧州委員会に提出されている。ヨーロッパは明らかにアメリカを意識しているし、一見ほぼ1年遅れで日本も追従しているように見える。

 しかし、日本の議論を聞いていると「イノベーション」については、欧米と比べ意識の点で出発点から大きくずれているのではないかと、最近思うようになった。「イノベーション」という言葉自体、シュンペーターというオーストリアの経済学者が90年ぐらい前に言いだした経済用語である。「利益につながる何らかの差を生む行為」という意味で、決して技術に限った用語ではなく「遠隔地貿易での新しい仕入れ先の開拓」なども含まれる。しかし、日本ではちょうど新技術がお金を生む時期にこの言葉が入ってきたせいか、昭和31(1956)年の経済白書でイノベーションが「技術革新」と訳され、極端な技術偏重でこの言葉を捉えるようになった。

 ≪なぜ今イノベーションか≫

 そういう、出発点からして理解に歪(ゆが)みがあるためか、欧米の包括的なイノベーション政策に比べ、どうしても日本の政策は従来と同じような産業政策を踏襲しようとしているようにみえる。ならば、なぜ今あえて「イノベーション」というのか。

 従来型の産業政策は、何か開発目標を定め、それに向かうシナリオを練り、開発が必要な要素技術をピックアップし、関係企業に業務をばら撒(ま)くという目標指向型のスタイルだった。しかしインターネットの世界的普及とそれを背景とするグローバル化により、「変化」のスピードと範囲は爆発的に拡大し、またどんな巨大な組織・国であってもすべてを自分だけで仕切ることは不可能で、他との連携が必須となった。変化の影響で、いつ目標自体がひっくりかえるかわからない。欧米のイノベーション志向政策の背景には、そういう状況の中では目標指向型の政策立案自体が無意味だ、だから政策スタイル自体をイノベーションしないといけないという強い意識が感じられる。
 変化に対応でき、さらにその中で主導権を取って「イノベーション-破壊的な創造」を行える人・組織・国の形をどのように作るか。強いて目標というなら「イノベーションが盛んに生まれる国にする」ことであり、具体的なターゲットはむしろ、イノベーションに必要な多様性と人材や資源の機動性を阻害する要因となる。

 ≪目標指向型はもう古い≫

 事実、日本の識者がイノベーションの教科書のようにいう「パルミサーノ・レポート」を眺めて気が付くことは、具体的なターゲットを意識的に定めていないということだ。「人材」「投資」「インフラ」という3つの環境整備にポイントを絞っており「20XX年までにがんを撲滅」のような「夢」の話はまったく出てこない。むしろ重視されているのは、イノベーション成長戦略を支援する国民的コンセンサスの育成であり、新時代に即した知的財産制度の創設である。この提言の「イノベート・アメリカ(アメリカを革新せよ)」という題目には、イノベーションに対応できる形に「国自体を革新」するという強い意志を感じる。

 目標指向型の政策立案はもはや過去のもの。例えばイギリスでは、イノベーション阻害要因として貿易産業省を解体するというドラスティックな改革案まで出ていると聞く。そういう欧米の現実主義の中で、日本も目標指向型から環境整備型に舵(かじ)をとることを、はっきりと国民に示さないといけない。

 実は筆者は政府の「イノベーション25戦略会議」の委員の一人である。このほど、会議の中間報告がまとまった。「イノベーションが最も起こりやすい国のカタチを作ることが政策である」という黒川清座長の「基本的考え」の部分と高市早苗担当大臣の書かれた序言の最終ページに、語るべきことは語られている。ぜひお読みいただきたい。(さかむら けん=東京大学教授)
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by miya-neta | 2007-02-28 07:01 | 政 治