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「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

【正論】和田秀樹 いじめ自殺防止に最重点を置け

コラむニュース:イザ!


2006/11/02 07:03

 ■心理教育拡充し、報道に基準を

 ≪思春期は被暗示性が強い≫

 福岡県の中学2年生の男子生徒が自殺し、遺書からいじめが原因とされ、学校側の問題が連日報じられている。

 さらに、その後、立て続けにいじめ自殺や未遂事件が起こり、報道が過熱傾向になっているきらいがある。

 自殺予防の関係者の間では、いじめと自殺を短絡的に結びつける報道の危険性を指摘する声は強い。

 現実に、愛知県の中学生のいじめ自殺の連日の報道が続いた1994年12月には、10人以上の中学生のいじめ自殺が相次いだ。一方、95年11月にも同様のいじめ自殺があったが、オウム事件裁判など他のニュースが立て込み、追加報道が少ない際には、連鎖自殺は少なかった。欧米では連鎖自殺を防ぐため報道ガイドラインが設けられているが、日本も見習うべきであろう。

 そうでなくても、思春期はマスメディアによる被暗示性の強い時期だ(だからこそ、前回問題にしたように病的痩身(そうしん)モデルを理想化させるのは許されない)。普通の子供にとっては、いじめ自殺報道は大した影響を及ぼさなくても、今いじめに悩んでいる子供や、自殺の危険の大きな子供への影響は計り知れない。

 最も危険なのは、大多数の子供がいじめで苦しみ、かろうじて死ぬのを思いとどまっているのに「いじめられたら自殺しても当たり前」という誤ったメッセージを与えることである。

 ≪「いじめない学校」の危険≫

 大人が子供に伝えなければならないのは「いじめられても死んではいけない」「辛いことがあれば何でも言いにきてほしい」ということだろう。

 あるいは、欧米で成功しているように、青少年に対する自殺予防教育、特に友達に死にたい気持ちを打ち明けられた際の対処などの具体的な教育であろう。

 もう1つは、今回の事件の場合、教師の心ない言動がいじめの発端になったことは、言語道断といえるものであるが、ただ学校や教師を非難していても今後の問題の解決になるどころか悪い方向に向かいかねないことだ。

 平成14年4月に施行された学校設置基準で、学校の自己評価と結果の公表が努力義務化され、さらに本年3月には、学校評価ガイドラインが策定されている。

 ここで、いじめのない学校ということを評価の上で重視すると、結果的に生徒も教師もいじめをなるべくないものとして見たいという心理が働きやすくなる。故意でなくても、いじめを無視、看過しやすくなってしまうのだ。

 集団精神療法の考え方では、人間は集団になると、1人の人間をスケープゴートにすることで、残りのメンバーが様々な不安を解消する現象が生じやすいことが知られている。この場合、それを頭ごなしにいけないことだと指弾するより、その心理背景を解説したり、そのときの心理をメンバーから尋ねることによって、メンバーもスケープゴートにあったほうも、心理的発達が促されるとされている。

 ≪子供の心理的発達に留意≫

 要するにいじめをなくすことより、子供同士なのだから、ささいな仲間はずれや悪口はつきものだと考え、早い時点で教師が介入して解決していくことのほうが、様々な意味で心理発達につながるし、被害者のほうも精神的に成長できるという考え方だ。

 私はそのほうが現実的だし、大人世界に入った際に、仲間はずれや悪口を禁止する方法がないのだから、子供の将来の心理的危険の回避のために肝要だと考える。

 だとすると、学校評価もいじめがあるかないかより、いじめを解決できたかどうかのほうに重点を置くべきだろう。

 もちろん大人世界に入ってからでも、警察を介入させることで解決のできるようないじめ、つまり傷害や恐喝に相当するものは、生徒の耐性を高めることを期待するより、警察に相談するという術を身につけさせるべきだ。

 人間である以上、いじめに相当する無視やからかいを根絶することは不可能である。しかし、前述のようにいじめ自殺の予防は可能性がある。その他のいじめ被害を大きなものにしないための学校の介入、教師や生徒自身による解決、それを通じての心理教育、あるいは、いじめに限らず、様々なストレスに対する学校メンタルヘルスの拡充(これは自殺の多かったフィンランドで成功している)や自殺予防教育やマスメディアの報道ガイドラインの制定など、種々の現実的対処を考えるほうが先決ではないだろうか?(わだ ひでき=精神科医、国際医療福祉大学教授)
by miya-neta | 2006-11-02 07:03 | 教 育