「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

「美智子さまの恋文」 正直に不安吐露も

皇室|社会|Sankei WEB


天皇陛下ご学友 橋本明さん出版の思い

 皇后さまがご成婚前と、皇太子さまをご懐妊中に天皇陛下に出された2通の手紙を収録した「美智子さまの恋文」(新潮社)の著者、橋本明さんが産経新聞のインタビューに応じ、出版の経緯と思いを語った。

 収録された手紙の一つは、ご成婚前の昭和34年初頭に書かれたもの。初めて民間から皇室に入る皇后さまの静かで深い決意が滲(にじ)む一方で、「殿下のお望みに沿いつつ、皇室の中に波紋をたてぬために、私はどうしたら良いのでございましょう」と、不安を正直に吐露される一節も。

 もう一通は、皇太子さまをご懐妊中の35年1月に書かれたもので、「赤ちゃんのことが心がかりでなりません。手元で育てさせていただくとすれば、それはもう皇后さま(香淳皇后)の時代と違う形をとることになってしまいますし、それから乳人の問題も-」と書き出されている。

 この手紙を写した文書(200字詰め原稿用紙62枚)を橋本さんが入手したのは46年のこと。女性週刊誌に「皇城の人びと」を連載していた作家の北條誠さんが、天皇陛下のご学友で共同通信の記者をしていた橋本さんを見こんで、所有していた手紙の写しを委ねた。

 問題は文書の真贋(しんがん)だった。確認の経緯について橋本さんは「絶対に明かすことはできません」と言い、交渉相手を《向こう側》と表現する。

 「《向こう側》に何度もボールを投げ、3カ月後、お使いの人と会うことになったのです。その時に手渡されたのが2通の手紙をタイプした文書でした。その際、『橋本との友情を大切にしたいと思った』という陛下のお言葉を伝えてもらいました」

 手渡された文書には、北條文書にはなかった手紙の書かれた日付がきちんと記されていた。

 では、どのような経緯で手紙の内容が流出したのか。橋本さんは「推測にすぎないが」と前置きしたうえでこう語った。

 「陛下は整理整頓があまりお上手ではありませんでした。手紙も人の目の触れる場所に置かれていたのかもしれません。当時、民間出身の美智子さまに対する内部のバッシングはひどいものでした。美智子さまを助けたいと考えた人が、皇室ものの連載で人気のあった北條さんに手紙の写しを送ったのではないでしょうか」


「皇太子ご夫妻に伝えられれば」

 橋本さんは同書の出版に続き、12日夜にテレビ朝日系で放送される皇室特番「美智子さまの恋文」にも全面協力した。その理由をこう語る。

 「東宮(皇太子)さまの周辺から伝わる芳しくない話を聞くにつけ、陛下と美智子さまが目指された皇室のありようを確認し、皇太子さまと雅子さまにお伝えできたら、という思いで取り組みました。特に美智子さまのお手紙は、現在の皇室の原点がうかがえる文書であり、絶対に世の中に出す必要があると考えました。民間出身ということで激しいバッシングにさらされていた美智子さまが耐えられ、陛下が支えられたからこそ現在の皇室があるのです」

 このインタビューで橋本さんは、両陛下の出会いとなった、昭和32年夏のいわゆる「テニスコートの恋」は、演出されたものではなく、間違いなく偶然の出来事であったと語った。

 「私は当時のトーナメント表を持っています。それを見ると、お二人は(ダブルスの)4回戦で対戦されているのです。出会いを演出するのであれば初戦で対戦させるはずです。つまり勝ち上がったお二人は偶然対戦することになった。そして2時間近い熱戦の末、美智子さまペアが勝たれ、陛下は美智子さまに強い印象を持たれたのです」(桑原聡)

(2007/05/12 02:33)
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by miya-neta | 2007-05-12 02:33 | 政 治