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「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

『妄想力』エッセーも人気 岸本佐知子さん (翻訳家)

東京新聞:土曜訪問(TOKYO Web)


2007年9月8日

『妄想力』エッセーも人気 岸本佐知子さん (翻訳家)_b0067585_2155724.jpg 電車の中で読むのは、少し勇気がいる。岸本佐知子さん(47)のエッセー集のことだ。笑いがこみ上げてきて思わず噴き出し、周囲の視線が気になることに-。

 一冊目のエッセー集『気になる部分』から例えば、寝付きが悪い時に熱中したという「ひとり尻取り」。

 「りす→すいか」では芸がないと日替わりで決めるテーマは、だんだん「淫靡(いんび)なもの」「ポストモダンなもの」と抽象化。しまいには「トルキスタンの場合には次は『タン』から始めるべきだ」という「“ん”事件」が勃発(ぼっぱつ)する。

 実にヘンな、面白いことを考える人なのだ。

 「講談社エッセイ賞」を今月受賞した二冊目の『ねにもつタイプ』(筑摩書房)は、「妄想力」がさらにパワーアップした。仕事中に脱線して考えるニュービジネスの数々、乗り物が風呂になった「ロープウェイ風呂」の話-。味わい深い「超短編小説」の趣もある。

 岸本さんと会ったのは、小田急線沿線にある東京都内の喫茶店。訪ねる道中、エッセーの車内描写を思い出し、口元が緩んだ。

 「私と同じようにくだらないことは、みんなだって考えていると思う。でも、そんなことで頭がいっぱいになったらまともな社会生活を営めないから、頭の中から締め出している。私にはその『削除機能』がないんです」

 だから読者から「自分も同じことを考えていた」という反応があると、すごくうれしいという。「初めて世の中とつながれたと思えた」

 英米文学を中心とする本業の翻訳は、今や「岸本ブランド」と言っていい。この人の訳書を待ちわびる人が、大勢いるのだから。訳す本も、既存の「小説」という概念を壊すような一風変わった作品が多い。

 例えば、米国作家ニコルソン・ベイカーの『中二階』。一人の男がエスカレーターを上るわずか数十秒間の出来事を描いた作品だ。靴ひもの結び方から牛乳容器の形状、トイレでの習慣まで、脳内をめぐる超ミクロ的な考察が、緊迫感を持ってつづられる。

 「編集者の紹介で初めて読んだ時『こんな日常の些細(ささい)なことを小説にする人がいるんだ』とびっくりした」。読後には、何げなく接していた生活の細部が別の輝きで息づき始める。一連のベイカー作品の翻訳にのめり込んだ。

 今春刊行した米国作家ジュディ・バドニッツの訳書『空中スキップ』も、相当奇妙な短編集だ。世界中で赤ん坊が生まれなくなる話、統計の結果「最も平均的な国民」に選ばれた男の話…。意表を突く展開にふと、考えさせられることが多い。

 文芸誌『群像』に連載しているのは『変愛(ヘンアイ)小説集』。木に恋をする女の話や、男と激しいキスをするうちに丸呑(まるの)みしてしまい、お腹(なか)の中の相手と暮らす主婦の話なんかが出てくる。

 「ただ『面白い』だけではなく、針が振り切れちゃうぐらい面白くて、いてもたってもいられないぐらいでないと、訳そうとは思わない。訳すために何カ月もつきあうわけですから」

 大学の英文科を出て洋酒メーカーに就職。楽しい職場だったが、会社員としての適性に疑問を感じ、翻訳学校に通い始めた。やがて仕事が入るようになり、六年半勤めた会社を辞めた。

 「周囲を見ても、翻訳家って紆余(うよ)曲折(きょくせつ)を経て何となくなっちゃうものみたいですよ」

 翻訳家とは何か。持論は「壺(つぼ)理論」だ。壺に棒を当てるとコンという音がする。棒が「作品」で壺が「自分」、鳴る音が「訳文」。壺の中に言葉の水がなみなみとたたえられていてこそ、いい音がする。

 「夜中、良い訳を忘れたころに思いつき、『ニヤッ』と独りで笑ったり。苦しいけれど毎日幸せです。訳したものを『面白かった』と読者から言われると『死んでもいいや』と思う」

 友人に頼まれて嫌々始めたエッセーだが、翻訳と車の両輪にして続けるつもりだ。「翻訳本は敷居が高いという人が多い。エッセーを読み、一冊ぐらい手に取ろうと思ってくれればうれしいんです」

 今秋刊行予定の訳書は、灯台守を主人公にした英国のジャネット・ウィンターソンの長編小説。灯台内部の情景描写にしびれて「訳しながら足がむずむずしてきた」。国土が狭く、国民が七人しかいない国の話を訳す予定もある。大国から迫害を受けている設定で、「強烈にバカバカしい話」だが、ブッシュ政権への批判も込められた寓話(ぐうわ)だという。

 「針の振り切れる作品」は、まだ尽きることがなさそうだ。 (石井敬)
by miya-neta | 2007-09-08 09:04 | 芸 能