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「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

報道と「予断」/大丈夫、素人を信じましょう

河北新報 コルネット 社説


 先に開かれたマスコミ倫理懇談会全国協議会の全国大会で、平木正洋・最高裁刑事局総括参事官が、容疑者の自白や犯罪歴、生い立ちなどを伝える報道は「裁判員となる市民に予断や偏見を与える」と懸念を表明した。
 新聞社や放送局、出版社からの参加者を前に、「個人的意見」と前置きした上での発言である。新制度導入を前に、自白報道以外にも捜査機関からの情報を確定事実のように報道することなど、現行の事件報道の“常道”についても、批判的な見方が示された。

 本音に近い部分まで踏み込んでの発言だろう。しかし、報道に携わる者として率直かつ底意地の悪い言い方をさせてもらえば、「裁判員制度で民意を取り入れるためには、事件報道全体をクローズにしてもらいたい」と読み替えたくもなる。
 もちろん、職業裁判官の側に、そうした意図があろうはずはなく、犯罪報道そのものをめぐるマスコミ内部での議論はといえば、もう長く続いているが、遅々として結論に至らない。

 だが「推定無罪原則をねじ曲げるのは犯罪報道」といわんばかりの“予断”が職業裁判官側にあるとすれば、それは裁判員制度そのものにとっても不幸なことではないか。
 犯罪・事件とその当事者への法執行は、職業裁判官や検察・捜査機関、弁護士の言葉で語られるべきものだろう。だが、犯罪・事件に対する戦(せん)慄(りつ)や怒りは、どのような社会にあっても常に存在してきた同時代の感情である。決して「マスコミによって作り上げられた虚像」などではあるまい。

 マスコミ倫理懇の当日、米カリフォルニア州から、高名な音楽プロデューサー、フィル・スペクター被告の殺人事件の陪審で「審理未決定」が宣告され、仕切り直しが決まったとのニュースが流れた。
 いわゆるセレブ裁判である。メディアの注目度は高い。

 陪審員のプライバシーに最大の配慮を示したメーン記事から、取材記者が毎日の法廷での審理を可能な範囲で書き込むブログ、一般読者が参加する炎上寸前のブログまで、地元紙LAタイムズ電子版には、まさに玉石入り乱れた大量の情報が掲げられている。
 「現在の審理の組み立てでは、満場一致の評決を得られないと判断した」。陪審の担当判事その人も、コメントを寄せる。12人の陪審員のうち、あと2人の翻意がかなわなかった。

 裁判員制度と、米国の陪審員制度を単純比較しようというのではない。制度も、それを支える法体系も違う。
 それを承知で、なお彼我の差を覚えずにいられないのは、日本の新制度に民意への信頼が欠けているからではあるまいか。

2007年10月01日月曜日
by miya-neta | 2007-10-01 08:50 | 社 会