「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

小沢代表辞意:政界遍歴は、破壊と離脱、再生の繰り返し

毎日jp(毎日新聞)


 世間を驚嘆させた直後の唐突で、後味の悪い幕切れ--。辞意表明した民主党の小沢一郎代表の政界遍歴は、破壊と離脱、再生の繰り返しだ。今回、大連立構想の破綻(はたん)で、福田康夫首相(自民党総裁)は与党内の不信を買い、参院選大勝で攻勢を強めてきた民主党は屋台骨が揺らいだ。小沢氏個人も十数年来の持論である自衛隊海外派遣の原理原則確立の機会を失っており、不毛の結末と言える。

 「剛腕」「壊し屋」と称される小沢氏の政治スタイルは、原理原則を定め、その実現のためには手段を選ばないという政治手法に集約される。新生党(93年6月)、新進党(94年12月)、自由党(98年1月)など相次ぐ新党結成や、既存政党との離合集散による「政界再編」がその典型的な手法だ。しかし、政策の純化路線と、なりふり構わぬ政局運営には暗転がつきまとった。

 細川連立内閣(93年8月)は、統一会派「改新」構想に反発した社会党などが離反し、失速。自民、社会、さきがけが連立政権を樹立した。下野した小沢氏は、共産党を除く野党勢力を集め、新進党を結成するが、自民党時代からの仲間だった羽田孜元首相との確執などが浮上し、これも96年末に分裂。小沢氏は直参勢力による自由党で、再起を図る。小渕内閣では、旧竹下派分裂以降、不倶戴天(ふぐたいてん)の敵となった野中広務氏と一時的に和解し、自自連立政権(99年1月)を作るが、自民、自由両党の解党による新たな保守政党の結成を小渕恵三首相に迫り、合意できずに連立を解消。自由党分裂を経て、民主党に合流(03年9月)し、現在に至っている。

 政界再編の政策的な主題は安全保障分野が中心だった。原点は、自民党幹事長時代の91年に起きた湾岸戦争だ。小沢氏は自衛隊の海外派遣に道を開こうと、反対論の強い社会党を見切り、公明党の協力を取り付けた。幹事長辞任後に、憲法と自衛隊海外派遣を整合させるため、「国際社会における日本の役割に関する特別調査会(小沢調査会)」でまとめた報告書(93年2月)が、今回の大連立構想の底流にある。

 小沢氏は記者会見で、報告書内容に沿う国連中心主義の海外派遣に首相が応じたとし、「私個人としてはそれだけでも(連立の)政策協議を開始するに値する」と述べた。安全保障は国政の枢要事項だが、十数年来の持論の結実が念頭にあったとすれば性急に過ぎる。選挙による政権交代を公言してきた小沢氏の突発的な動きに、政界は「またあれが始まったか」と頭を抱えている。【因幡健悦】

毎日新聞 2007年11月4日 21時44分
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by miya-neta | 2007-11-04 21:44 | 政 治