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「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

三國連太郎さん主演『北辰斜めにさすところ』、監督インタビュー

OhmyNews:オーマイニュース


教育は人間と人間のぶつかり合い───神山征二郎監督馬場 一哉

(2007-12-28 05:00)

 かつて、将来を期待されるエリート学生たちが通った旧制高等学校。そのうちの1つ、鹿児島県「第七高等学校造士館」(以下、七高と略)を舞台に、彼らが、戦争という時代に翻弄されながらも理想を胸に抱き、破天荒に生きる様子を描いた意欲作『北辰斜めにさすところ』が、12月22日より公開されている。

 監督は、1987年の大ヒット作『ハチ公物語』をはじめ、『遠き落日』(92)、『大河の一滴』(01)、『草の乱』(04)など、数々の名作で知られるベテラン、神山征二郎さん。主演は日本を代表する名優・三國連太郎さん。2人がペアを組むのは、これが3度目。この記事では、前回の作品紹介に続き(前回の記事はこちら)、神山監督へのインタビューを紹介したい。

三國連太郎さん、3稿目で出演を快諾

───三國連太郎さんに出演を依頼した際、当初、あまりいい顔をされなかったと聞いています。

 現在、80歳以上の俳優で、主演ができるのは三國さんくらいしかいません。それだけに、三國さんに受けてもらえなかったら、映画化もあきらめるくらいの覚悟でいました。現実問題として、撮影ができませんから。


神山征二郎監督。硬派で厳しいイメージを持っている人が多いだろうが、非常に温和な方だった(撮影:馬場一哉)───三國さんが逡巡(しゅんじゅん)したのは、どういったことが理由だったのでしょうか?

 三國さんは、脚本にこだわり、出演作品をかなり厳選する方です。最初に、脚本をお渡ししたときはあまりいい返事がいただけませんでした。そこで、これは脚本に、何かしら気に入らないところがあったのかなと思いました。

 脚本は原作となった『記念試合』(小学館)の著者、室積光さんが書いてくれたのですが、やはり、彼は作家であってシナリオライターではない。映画のシナリオには、2時間楽しませるような構成にするなど、テクニックも必要。

 とはいえ、緒方直人さんもすでに出演が決まっていましたし、僕も旧制高校のことを映画にできるというのはいいチャンスだと思ったので、2人で協力しながら2カ月間かけて、脚本を書き直し、3稿目でやっと快諾いただけました。

───具体的には、どのような点を変更されたのですか?

 室積さんは、非常によく取材されており、旧制高校のエピソードには事欠かなかったのですが、映画の場合は、個々のエピソードを並べるだけでは、観客が飽きてしまいます。そこで、家族の物語を入れるなど、いろいろと手を加えました。そして、三國さんが快諾してくれたもっとも大きな要因は、ラスト直前の、海の向こうを見ながら、かつて経験した戦争に思いをはせるシーンの存在です。ご自身も、中国出征の経験があるからでしょう。そのシーンには、非常に思い入れが強かったようです。

───そのシーンは、ポスターにも使われていますね。

 ええ。あの三國さんの表情をとらえたポスターはインパクトも強いですよね。三國さんのそういう思いもあって、作品が完成したときは、めずらしくほめてくれたんです。「あなたにしてはいいものができた」と。

───それは、三國さん流のほめ言葉なんですね。

 そうだと思います。どの世代に見てもらっても恥ずかしくない作品に仕上がったということだと思います。とはいえ、私の場合、映画製作は、いつもそれをめざして作っています。よく記者から受ける質問で、「どんな人に見てほしいですか?」というものがありますが、僕はもともとそんなことは考えていません。映画は見たい人が見ればいい。逆に僕が頼んだって、見ない人は見ませんから。「若い方にも見てほしい」とか、リップサービスで言うことはありますが、家族ですら、頼んだところで見にいかないですからね。ただ、気持ちとしては、誰にでも見てもらいたいと思っています。

「若いころなんて、好きな子がどこにいるかくらいしか見ていない」

───今回の作品では、若者たちが熱く生きる様子が描かれています。彼らが放つ青春の輝きは、今の時代には失われつつある気がするのですが、そこにはもちろん当時の時代背景が大きく影響しています。しかし、旧制高校というシステムもまた、大きく影響を及ぼしているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

 青春時代は、誰でも過ごすものです。私は現在66歳ですが、46年前には20歳を経験している。そのとき、自分が何に対し、どう思っていたか、それは手に取るように思い出せます。ですから、今回の作品では、自分の経験も踏まえて、青春の総ざらいをしています。例えば、高校のときには修学旅行などに行きますよね。でも、実際、どこを見たかなんて、大して覚えていないものです。好きな子がどこにいたかぐらいしか覚えてない。それが青春時代です。

 神社、仏閣に興味がないわけじゃない。ものを習得したいという根源的な思いは持っていて、それが学問なわけですが、それ以上に、恋愛の対象に関心をもって、言ってしまえば、それがほとんどなわけです。若者はそういう状態にあるのだから、そのエネルギーをどう吸収して、学校教育に生かすか。それがうまくできた場が旧制高校だったのだと思います。発散させるべきものはとことんさせる。だけど、卒業したければ、その分、学問をしなければだめと。

───現在の教育制度に警鐘を鳴らすという意図もあったわけですか?

 「北辰斜めにさすところ」製作委員会には、その意図もあったと思いますが、私は、特に意識しませんでした。教育で悩んでいる方に、「この作品で何かをつかんでください」とは言いたくないし、正直なところ、映画で教育論はできないと思っています。

───たしかに、時代も違いますし、旧制高校にあって、現在ないものをスクリーンをとおして、わからせるのはむずかしいと。

 むずかしいですよ。どっちが良いかというのはわからないわけですから。ただ、私個人の現在の教育に関する考えとしては、「教育の機会均等」に固執しすぎたのではなかろうかと思っています。機会均等はすばらしい。しかし、そこに「青春の輝きが発する熱」を発散するという概念が欠落していた。性にも目覚めますし、勉強の場を与えられて、「勉強しろ」と言われてもするわけがない。

「教育はシステムなんかではどうにもならない」


(記者注:以下、ネタばれ含みます。鑑賞予定の方はお気をつけください)

───寮生活のなか、若者たちは深い友情で結ばれますが、そのきずなの強さを作りえた背景には間違いなく戦争があったと思います。

 それは間違いないですね。生死を共にするわけですから。戦争体験者は日本にもまだたくさんいますが、旧制高校に通っていたものではなくても、彼らはやはり強いきずなで結ばれています。同窓会などがあると全国から集まり、おじいさんたちは学帽をかぶって、踊るそうです。今は平和な時代です。僕なんかも、戦争をまったく経験しないで、人生を通過してきた。それでも、彼らのきずなを追体験し、ラストシーンで、かつての若者たちのゴーストが現れる場面に感動するのです。

───戦争というものが背景にあるので、現在の教育と、かつての教育を一概には比べられません。ただ、やはり、そこから学ぶべきものはあると思うのですが、監督はどのようにお考えですか?

 僕は、映画の学校などから、たまに「講師をしてくれないか」と頼まれますが、お断りしています。相手はたとえ、子供であっても人間です。彼らにものを教え、また人生を教えるというのは、とても恐ろしいことなんです。もし、講師をするなら、本当に覚悟を決めないといけない。ゆくゆく、「演劇塾」を開いてもいいとは思っていますが、今は現役だからできない。

 教えるものと教えられるものはぶつかりあわねばなりません。それには大変エネルギーが要ります。裏切られることもあり、それが教育だと思います。現在のゆとり教育が良い、悪いなど、そういったことではなく、もっと根本として、人間と人間がぶつかりあうという覚悟が必要です。それは、システムなんかでは、どうにもならないことです。しかし、旧制高校にはそれがありました。

───旧制高校に通っていた方たちは、ある種、その時代のエリートだったと思います。教育面で、優遇されていた面もあったのではないでしょうか。

 もちろん、裕福でなければいけませんし、恵まれていたのはたしかだと思います。しかし、たとえ、家庭が貧しくても、素質がある者には、地域の人が出資して、学校に通わせるなどということがかつての日本にはありました。例えば、野口英世だってそうです。彼には、素質があり、それを地域の人が見逃さなかったわけです。その結果、彼は世界的な医学者になります。現在は、そういうことはほとんどないのではないでしょうか。

生涯をかけたつぐない

───作中、三國さん演じる上田は、取材を受け、旧制高校時代から戦争のことまでを話します。一方で、青春時代をすごした場所で行われる七高と五高(熊本県、第五高等学校)の記念試合には、頑として行くまいという態度をとります。そのように、当時のことを回想しながら話すことはできても、現地には行きたくないという微妙な心理はどこからくるのでしょうか。

 懐かしい場所ですから、行きたいに決まっています。しかし、行かない。それは、戦争中、偶然出会った草野先輩(緒方直人)をジャングルに置き去りにせざるを得なかったことと関連しています。

 軍紀には、負傷者、死傷者は絶対に連れて帰ってこいというものがありました。これは万国共通です。軍紀はとても守れない最悪の局面ではあったが、それができなかった自分を上田は一生悔いているのです。もっとも尊敬する親しい人を置き去りにしたわけですから。だから、「あなたを鹿児島に返すことはできなかったけど、僕も帰りませんよ」という態度をとることで心のすき間を埋めていたんです。

───先輩に対する思いゆえなのですね。

 生涯をかけて、自分が行かないことで許してもらおうとしたわけです。しかし、現実問題、行かなければ物語も終わりませんし、かつてのバッテリーを組んでいたキャッチャーが亡くなったことで、その遺影を持って、行くという筋書きにしたのです。

───月並みな質問ですが、最後に読者に向けて、メッセージをお願いします。

 自分の気持ちをこの映画に目いっぱいのせました。三國さんもきっと同じ思いだと思います。その成果をぜひ、劇場でご覧いただければと思います。

───ありがとうございました。

『北辰斜めにさすところ』
(ネマスクエアとうきゅうにてお正月ロードショー中)
by miya-neta | 2007-12-28 05:00 | 教 育