「自殺サイトを通じて集まった7人が既遂」
2004年 11月 19日
★自殺サイトを通じて集まった7人が既遂★
もちろん私はあらゆる自殺を止めたいとは思いますが、実際にはそんなことはできません。
できることと言えば、せいぜい自分の周りにいるごく親しい人たちが、自殺を本気で考えているようなとき、その原因を取り除く力になることだけです。そのような信号を見逃さず、あるいは相談されたとき物理的な解決をしてあげられるだけの力を蓄えておく。それができないなら、一般論として赤の他人に向かって「自殺するな」と言っても何の意味もありません。
不謹慎を承知で言いますと、一人で自殺するより、ネットで知り合った「死にたい」人たちと一緒に集まって実行するのは、かなり気持ちがラクだろうなあ、と思います。
独りで自殺するのは怖いですからね。大勢でなら"勇気"も出てくる。
ということは、このような自殺形態は今後、増えることはあっても、減ることはないでしょう。
10年後には、自殺者の3割くらいはこの形態になる可能性すらあると思います。
ただし、自殺死亡率(人口10万人あたりの自殺者数)は昭和33年がピーク(25・7)であり、その当時は10~20代の「若者」が圧倒的に多かったのです(その後ずっと落ち着き、再び激増に転じます)が、平成14年(自殺率は23・8)以降ですら若者層の自殺は減少してグラフに「山」すらできません。年齢別グラフで見事な「山」を形成するのは、今はもっぱら50~60代の男性です。
確かに年齢別「死因」順位では、男性の25歳~44歳、女性の20歳~29歳でのみ「1位」が自殺になります。しかし、それはこの年齢層ではガンや成人病で死ぬ確率が非常に少ない、ということの反映にすぎません。
それでも、もちろん「自殺」が日本最大級の問題であることに変わりありません。そのことは『現代日本の問題集』(講談社現代新書)や『偽善系』(文春文庫)の「日本人の死に方考」にも書きました。
今のところ、ネット心中がマスコミで大騒ぎされるのは、「まだ珍しいから」なのです。これが報じられなくなったときこそ、歯止めなき恐ろしい傾向が常態化した、ということになります。
(新「ガッキィファイター」2004年10月23日号に掲載)
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◆「人気脚本家で作家の野沢尚氏が自殺」考 その1
天才肌の脚本家でした。締め切りも必ず守っていたそうです。まじめな方だったので、NHK大河の締め切りが守れず制作日程が1年ズレ込んだことが、何らかの因子になったのかどうか。
脚本家として数々の栄誉に輝いただけでなく、作家として直木賞をとても欲しがっていたとのことなので、そのような目標の定め方は、怠け者の私には「しんどいだろうなあ」と思えていました。
日垣編『愛は科学で解けるのか』(新潮社)にて詳しく論じたテーマですので、興味のある方はP161~P170をお読みください。
↓
http://homepage2.nifty.com/higakitakashi/shop/books/ohai.html
さて――。
野沢さんが脚本を書いた大半のドラマでは「死」が扱われていました。病死ではなく、たいていが殺人です。
死を軽んじていたというのではなく、逆に、死についてよく考えていた方(かた)ではないかと思えます。しかし、死を作中で頻繁に扱えば扱うほど、主観的には死が身近になり、ご自身の言葉を借りれば、「そんなことばかり考えていると死が頭の中から離れず、どんどん軽くなっていくんです」(「スポーツニッポン」2004年6月29日の再録インタヴューより引用)。
もちろんこのような死生観が直接に自殺の原因になるとは言えません。せいぜい一般論としては、直前の欝(うつ)状態が背中を突然押した、という以上のことを推測するのは困難です。
過去を振り返れば、自殺した天才肌の文士は少なくありません。
芥川龍之介はベロナール(睡眠薬)を大量に飲んで。
その後創設された芥川賞(第1回)を落とされ選考委員(川端康成)に殺意すら抱いた太宰治は、パピナール(鎮痛剤)におぼれ、山崎富栄と入水(じゅすい)自殺を。
その川端は、晩年の『みづうみ』や『眠れる美女』で狂気に近づき、生涯の目標だったノーベル文学賞を得た4年後にガスを放って。
川端に認められて世に出た三島由紀夫は、自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説後に割腹自殺を――。
天才肌の文士たちの自殺が、統計的に「多い」と言えるのかどうか、俄(にわ)かには判然としません。ニュース性が高いだけかもしれない。けれども、全集が出るほど著名な作家は10年に2-4人が自殺しており、その分母(全集をもつ作家)は10年間にせいぜい30人-40人でしょうから、その確率は10分の1に近似し、これは非常に高いと言わざるをえません。
これに対して、戦後の日本人は毎年1万人~3万人前後が自殺しておりますが、その分母は1億人前後ですから、確率としては4000分の1から1万分の1程度です(正規の確率統計学では修正が必要なのですが、ここでは面倒に立ち入りません)。
なお、直前まで元気に仕事をしていたのに、という突発的な自殺は決して珍しいことではないようです。芥川龍之介の友人も、次のように書きとめています。
《その前の晩まで芥川君は、何処かの雑誌の原稿を書き続け、それを書き上げて速達にして翌朝出して貰うように封をしたのを机の上に置き、それから薬を飲んで、静かに寝床に仰向けに寝、しばらく聖書を読んでいたらしく……》(広津和郎『年月のあしおと(下)』講談社)
◆「人気脚本家で作家の野沢尚氏が自殺」考 その2
次に、文士としての野沢尚さんではなく、「40代半ばの男性自殺者」として考えてみると、おおむね次のようなことになります(警察庁、および厚生統計協会、厚生労働省の諸資料による)。
40代の自殺者は一昨年、男性3,646人、女性997人で、全体の約15%を占めます。
この世代の男性が遺書を認(したた)める率は32・5%です。
手段としては、64%が首吊りで自殺しています(平成10年の統計)。ちなみに2位の飛び降りは10%、3位の入水は6%、4位のガス中毒は5%、5位の服毒は4%です。日本で銃を使った自殺(0・04)は世界でも最も少なく、米国のそれ(7・35)の184分の1に過ぎません(自殺率の分母は人口10万人)。
殺人率(10万人あたりの殺人者数)も世界で最も少ないのですが、しかし、日本の自殺率は世界のトップ10に入るほど極端に多いのです。
http://www.uncjin.org/Statistics/statistics.html
ともかく、野沢さんは40代の男性(40代男性の自殺者は年間3,646人)でしたから、この点では「毎日10人」が同様の自殺を遂げており、なおかつ手段が首吊りというケースを勘案すれば、40代男性では「毎日6-7人」が野沢さんと同じような形で自殺している、ということがわかります。
なお、自殺率の経年変化を見ますと、1970年に15・3から2002年に25・3と急上昇していますが、同期間中に女性は13・3→13・9とほとんど変わらないのに対し、男性は17・3→37・1ですから、日本で自殺が増加したのは男性だけである、という事実が浮き上がります。しかもその上昇分は中高年のみに集中しているのです。
前述したとおり、医学界では、自殺は抑鬱(よくうつ)を背景にしていると考えられていますが、経済界では、不景気が増すと自殺者が増える、というのが常識的な観察です。
そんな知見が大昔から熟知されていたかのように、抑鬱は英語でdepression、不景気も同じくdepressionです。経済の抑鬱状態を不景気と言うのは、考えてみれば当然と言えるでしょう。
(新「ガッキィファイター」2004年7月1日号に掲載)