当世マタニティー事情:/中 「無痛」か「自然」か…揺れる心
2004年 11月 27日
◆当世(いまどき)マタニティー事情
「赤ちゃん、会えた! 可愛い……先生、ありがとうございます」
カーテン越しの産婦の声。疲労の色はにじむが、出産したばかりとは思えない張りのある声音だ。「誕生の瞬間から赤ちゃんを慈しむ余裕が、お母さんに残る。無痛分娩(むつうぶんべん)のメリットの一つです」。院長の井澤秀明さんがほほ笑んだ。
神奈川県大和市にある愛育病院(電話046・274・0077)。年間1700人の産婦のうち72%が「無痛分娩」を選ぶ。東北から出産に来る人もいるという。
使うのは、下半身のみの硬膜外麻酔。痛みが「10分の1弱まで」緩和されるが、産婦の意識ははっきりしている。全身麻酔は出産に必要な子宮の収縮までも止めてしまううえ、「本人も知らないうちに産んでいたというのでは、母としての自覚が生まれにくい」と、井澤さんは否定的だ。
麻酔の利点は、痛みの軽減だけではない。井澤さんによると、下半身の緊張がない分お産が早く進み、帝王切開に至る危険性も低いという。
欧米には、無痛分娩が8割を占める国もある。日本では当初、全身麻酔が導入されて事故や批判が相次ぎ、普及が遅れた。「産みの苦しみに耐えてこそ一人前」という伝統的な価値観も根強い。
しかし、直立歩行を始めた時点から、人類は妊娠出産に不適な体形へと変わった。「骨盤は世代を追って狭まり、出産の痛みは増す一方」と指摘する専門家もいる。井澤さんは「身体も意識も変わった。お産にだけ原始的な自然を求めるのは、むしろ不自然ではないでしょうか」と話す。
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「そりゃもう、鼻の穴からスイカを出すような苦しみよ」「腹部に散弾銃を仕込まれた感じ」
お産の苦労話は、未経験者を震え上がらせる。「陣痛促進剤や麻酔が本当に安全なのか、確信はない。でも、私は痛みに弱いから」。妊娠6カ月の里美さん(29=仮名)は無痛を選ぶか自然に産むか、悩む。
自然派だった友人は難産を経験して「2人目は欲しいけれど、あんな痛みはもうごめん」と無痛派に転向した。「最後は陣痛中に耐え切れず『麻酔して!』と叫びそう」。里美さんの予想だ。
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「陣痛は、女性が『生命の運搬人』になるためのエネルギー。むしろ喜びととらえましょう」と話すのは、熊本市の松永産婦人科(電話096・322・5011)院長、松永昭さん。「日本ソフロロジー法研究会」の会長でもある。
ソフロロジーは「超痛分娩」とも呼ばれる出産法。眠りに入る間際の意識状態を自ら作り出して陣痛を乗り切れるよう、妊娠中にイメージトレーニングを重ねる。呼吸法と関連づけて筋肉を緩ませる肉体的訓練も重要だ。「自分で心身をリラックスさせられれば、赤ちゃんとの共同作業で幸せな出産が可能です」
ソフロロジーの発祥地フランスでは、麻酔と併用する場合が多い。松永さんは、座禅やヨガなどを取り入れ、独自に発展させた。「薬に頼らずにお産を乗り越えたという自信は、その後の人生を必ず助ける」と松永さんは話す。【斉藤希史子、写真も】
毎日新聞 2004年11月26日 東京朝刊