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「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

デジタル放送:続・ライブドアに勝算はあるのか

MSN-Mainichi INTERACTIVE カバーストーリー


 ライブドアによるニッポン放送株式の取得をめぐっては、ニッポン放送側が新株予約権を使った増資を行い、ライブドアが法廷闘争に踏み切るなど相変わらず混沌とした状況が続いている。ここで基本的なことを考えたい。つまり「放送はライフライン」という認識だ。ライフラインならば、簡単にマネーゲームの対象とすることは許されないと思うし、外資規制についても課していく必要があるだろう。今回は「放送はライフライン」という視点から“騒動”を見てみたい。【西  正】

■■ライフラインとマネーゲーム

 地上波放送の場合には、ラジオ、テレビを問わず、水道、電気、ガスなどと同様に、国民のライフラインを担っている。このこと自体に異論がある人は少ないだろう。つまり「安定的な供給」が担保されなければならない。そのことから、資本主義社会であるとは言っても、国民のライフラインに係る部分については、経済合理性だけで対処して良いはずはないし、容易に参入や撤退を認めるわけにはいかない。

 ライブドアの堀江社長が色々な場で、今回の一連のやり取りについて、旧態然としたものを感じ、それに対する不満も述べている。しかし、その脳裏には果たして、「放送産業はライフライン」との認識はあるのであろうか。単なるエンターテイメントの提供媒体であると考えているとしたら、それは大まちがいであると指摘されざるを得ないだろう。ご本人は「マネーゲームとは思っていない」と言っているのかもしれないが、放送産業の公共性について、どのように考えているかを表す発言はほとんど聞こえてこない。

 盛んに口にしている「ビジネス上のシナジー」についても具体的なイメージは伝わってこない。それすら見えてこないことからしても、あまり公共性についての認識を持っているとは考えにくいのである。

 議論があくまでマネーゲームという視点からしか論じられないが「放送本来のあり方」という意味では、この問題は単純に、ライブドアと、ニッポン放送、フジテレビの三者間の問題ではなく日本の放送事業全般にわたる重大な問題であると言えよう。

 ところが、非常に残念なことではあるが、フジテレビ以外の民放テレビ局には、あまり当事者意識が感じられないばかりか、むしろ視聴率を取るための格好の材料としているように思われる。

 国民的な関心事にまで発展している以上、ライブドア問題についての報道が多く放送されることは当然のことである。それを「視聴率稼ぎ」と非難することは適当ではない。また、当事者として位置づけられてしまっているフジテレビが、本件についての報道を控えているのは、公正さを維持するという見地からは正しい姿勢であると思われる。

 とは言え、さすがに首を傾げざるを得ないのは、他局がバラエティー番組のゲストとして、堀江氏を招き、同氏がそれに出演していることだ。今の段階では、放送局にとって、この問題がバラエティー番組のネタとして、視聴者の笑いを誘うような採り上げ方がなされるべきであるとは思えない。確かに、商法上の問題も絡んでいるため、ニュースなどで報道されているものを見ているだけでは、一般の視聴者からは分かりにくいという声も寄せられるかもしれない。そうした要望が多いということで、それにも応えたいというのなら、もう少し分かり易い説明を加えた番組を放送すればよいだけの話なのであって、何もバラエティー番組の中でのお笑いネタとして伝える必要はないはずだ。

 「視聴率稼ぎ」としか思えない形で、今回の問題を採り上げているようでは、それこそ放送事業の公共性などと言ってみても、何の説得力も持たなくなってしまう。他の民放局にとっても、決して他人事ではないという自覚が必要だろう。

 普段から経済番組のコメンテーターとしてテレビ出演している「自称」エコノミストの方にも、明らかに専門外の分野にはコメントを控えるだけのプロ意識を持ってほしい。財政からメディアまで幅広い見識をお持ちならともかく、今回のような件でも聞きかじりでコメントしている姿を見ると、ご専門の分野についての見識まで怪しく見えてしまうので、出演を控えてもらうべきだと思われる。

 また、ライブドアの堀江社長としても、今回の投資はマネーゲームではないというのなら、もう少し出演する番組を選ぶべきである。プロ野球への参入を表明した時とは違い、予想以上に世論の味方が得られないことに困惑しているのは分かるが、だからと言って、バラエティー番組の中でお笑いネタとして、今回の一連の行動を説明するのは、あまり適当な方法であるとは思えない。投資金額の大きさと、テレビ画面から伝わってくるパフォーマンスの軽さに、ギャップを感じている視聴者も多いのではなかろうか。マネーゲームであると評されてしまうのも、その辺りに理由があるのかもしれないということだ。

■■見えない「シナジー」

 堀江社長の説明として繰り返し使われている「シナジー」という言葉には、相変わらず中身も意味も見えてこない。

 ライブドアの本当の狙いはフジサンケイグループ全体との業務提携なのかもしれないが、最初に資本参加した相手はニッポン放送である。そして、ニッポン放送の株式を売り抜くつもりはなく、長期保有していく方針も打ち出されている。

 マネーゲームではないと言う以上は、ニッポン放送とのシナジーも検討されているはずである。ホームページを魅力的にするというような理由では、投下資本の大きさを説明することはできない。何よりも知りたいのは、肝心の堀江社長はニッポン放送の番組を聴いているのだろうかということである。

 「命がけ」で業務提携を希望するというのなら、その相手がどのような放送番組を流しているのかといったことを知らないでは済まされないはずである。ラジオというメディアは、音声だけが表現手段であると限られているだけに、映像を伴うテレビ放送以上に、一つ一つの言葉が豊富な表現力を有している。

 テレビ放送の番組によっては、高齢者が見ていると疲れてしまうようなものも見られるせいか、ラジオの人気は地道に根強いものがある。そのことは、ローカルエリアにおいて、特に強く感じられることである。

 広告収入の数字だけを見て、テレビ新聞に劣るということで、ラジオの媒体力を侮るようなことは許されることではない。ニッポン放送の株式を取得することによりフジテレビへの関与を希望していたのが、それが上手く行きそうもないということで、ニッポン放送との提携に固執しているのであれば、それは多くのラジオ・ファンの気持ちを裏切ることになりかねない。

 ラジオは3月に放送80周年を迎える。ある意味では、非常に歴史のあるメディアである。それとネットとの融合というのであれば、具体的なイメージを示すことを忘れないでほしい。ラジオ新時代を迎える契機となるならば、ライブドアの提案は間違っていなかったことになる。そろそろ「シナジー」についても具体的に明かすべきだろう。

 確かに株式の持合いを通じたニッポン放送とフジテレビの親子関係は、不自然なものであったかもしれないが、メディアとしての先輩であるラジオの活性化については、フジテレビ以上に発揮してみたらどうか。フジテレビにライブドアの真価を見せるとしたら、外資から調達した資本力を使うのではなく、新規参入者ならではの既存の常識に捉われないアイデアこそが腕の見せ所のはずである。

 それが出来ないのならば、軽妙な口調を使って、テレビの視聴者に言い訳がましい説明をすることはやめるべきだ。失敗を失敗として認めないことは、傷を深くするだけであり、自社の株主に迷惑をかけることにしかならない。

■■外資規制についてどう考えるべきか

 ライブドアがニッポン放送の株式を大量取得した資金源としては、外資のリーマンブラザーズ証券が背後にいることは明らかになっている。

 日本の放送メディアについては、諸外国と同様に外資規制が課されており、20%が上限となっている。直接投資は規制されているが、今回のケースのように間接的に投資しているケースの対処についても検討を迫られている。

 メディアに対する外資規制は先進国でも当たり前のことである。水道、電気、ガスと同様、国民のライフラインとなる事業を外資に任せる国はない。また、国家としての領空権や領海権の考え方があるのと同じく、国民の資産である電波についても、あくまで主権を持つ国家として制御するのは当たり前のことである。徒に規制緩和を是とすることなど、有り得ない分野である。

 間接保有ということになると、どこまでを規制対象にすべきかを決めることは簡単ではない。しかし、規制すべきものである以上は、簡単でなかろうと、それを線引きしていくことが政策サイドの任務である。いずれ必要な議論であったことでもあり、発端が今回のケースであったということでも構わないと思われる。そもそも間接保有を認めてしまうと、直接保有を規制する意味が失われかねない。昨年の末に、放送局の株式を第三者名義で保有することが問題になったのと、同じ考え方をすべきだと理解すれば、それほど大きな議論を必要するとは思えない。

 言論の自由や表現の自由に対して、規制が課せられることは大いに警戒すべきだが、言論の偏重を避けるという趣旨からしても、外資規制については、直接、間接の区別をする意味はないと思われる。

 ニッポン放送が大量の新株予約権をフジテレビに与えたことで、ライブドア問題は新展開を迎えることになりそうだ。ライブドアは勝つのか、負けるのか。本当に重要な課題は、そのような勝ち負けの行方を見極めることではなく、これを機に、これまで手付かずのままできた放送事業をめぐる諸問題に、再度、入念な検討を加えることにあるのではなかろうか。

 2005年2月24日
by miya-neta | 2005-02-28 07:45 | メディア