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「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

東京大空襲:きょう60年 猛火の体験、風化させまい--都内各地で慰霊の行事

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 約10万人の命が奪われた東京大空襲から10日で60年を迎えた。あの日、米軍のB29爆撃機から投下された大量の焼夷弾(しょういだん)による猛火が下町一帯を包み、女性や子供、お年寄りら一般市民は猛火の中を逃げ惑い、亡くなった。広島、長崎への原爆投下に匹敵する戦争被害を出しながら、当時の記録を残す行政の取り組みは低調で、風化も進む。この日、都内各地で犠牲者を悼む法要や平和を祈る催しが開かれた。

 墨田区横網の都慰霊堂では午前10時から、都慰霊協会主催の慰霊大法要が営まれ、秋篠宮ご夫妻や遺族ら約320人が参列した。

 貫洞哲夫協会長が「今日の平和は、尊い犠牲と遺族の苦労の上にある。改めて平和の尊さを強く認識します」と式辞。読経の後、福永正通副知事が「犠牲となられた方々の無念と最愛の肉親を亡くされた遺族の深い悲しみに思いをいたすとき、痛惜の念ここに極まる」と石原慎太郎知事の追悼の辞を代読し、遺族代表らが焼香した。

 参列した江東区の三津田宏さん(72)は当時、国民学校6年。中学受験のため疎開先から東京に戻っていたが、近くの公園に避難して九死に一生を得た。「空襲の後、黒くなった遺体の山をまたいで歩いた光景は忘れられない」。三津田さんらは「深川小・空襲60年記念のつどい」を開いて、犠牲となった学友をしのぶ。「私にも孫がいます。二度とこんな思いをしないことだけが願いです」と言葉に力を込めた。

 午後1時からは豊島区西池袋の東京芸術劇場大ホールで都主催の「平和の日記念式典」が開かれた。都は例年の500人規模の都庁内での式典から拡大し、区内の小中学生約500人を含む約2000人が参列。黙とうの後、石原知事らがあいさつし、遺族らが体験を語る。【奥村隆】

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 ■ことば

 ◇東京大空襲

 1945年3月10日午前0時8分(米軍記録では同7分)、東京の下町上空に侵入した米軍B29爆撃機が、大量の焼夷弾による爆撃を開始。マリアナ諸島を発進したB29は300機を超え、それまでの「昼間高高度精密爆撃」から、「夜間低高度無差別爆撃」に作戦を変更し、高度約2000メートルから日本の家屋用に開発したM69焼夷弾でじゅうたん爆撃した。現在の墨田、江東、台東区などにあたる当時の本所、深川、城東、浅草の各区などで大火が発生した。2時間余りの爆撃で、死者は約10万人、負傷者約4万人、被災家屋約27万戸。米軍調査によると、焼失面積は41平方キロに上り、米軍機の損失は14機に過ぎなかった。

毎日新聞 2005年3月10日 東京夕刊
by miya-neta | 2005-03-10 20:20 | 経 済