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「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

戦後最大規模の参拝客が殺到 靖国神社ルポ

livedoor ニュース - 戦後最大規模の参拝客が殺到 靖国神社ルポ  朝鮮日報


 日本・東京の靖国神社正門から参拜場所である拝殿までは約50メートル離れている。この道を通るだけでも30分ほどかかった。

 朝8時から集まり始めた参拝客たちは、午前10時頃には神社前の地下鉄出口から本殿まで1キロメートルほどの区間をぎっしりと埋め、摂氏33度の暑さの中参拝の順番を待った。ほとんどが一般国民だが、中には軍国時代の軍服を着たり、組職暴力団スタイルをした極右団体の会員たちも目についた。

 太平洋戦争敗戦から60周年(日本では終戦記念日)である15日、14人のA級をはじめとする戦犯を合祀している(1か所に集めて祭祀を執り行なう)靖国神社。

 この日の追悼式を主催した3つの右翼団体が事前に立てた参拝者数の目標は20万人。敗戦後最大の規模だ。この日実際に参拝した人員を正確に把握するのは難しいが、靖国関係者は「期待していた程度を優に超えたようだ」と話した。今月6日に広島で開かれた原爆60周年平和記念式に集まった人数は5万5000人余りだった。

 午前 10時 30分。スピーカーを通し、戦争当事者だった昭和天皇の声が神社に響き渡った。「先に、米英両国に宣戦布告した理由も、日本の政治的・経済的自立と東亜の安定を願ってのものであって…・・・」反省など少しも見受けられない60年前の終戦詔書、通称玉音放送だ。

 やがて「君が代」が流れ、黙念。参拝客の一部が涙をぬぐった。行事主催側は共同声明文で「総理参拝に対し中・韓両国が執拗に反対し…」と言いながら、隣国に対する憎悪を刺激した。

 靖国の正体をつぶさに見ることができる神社内の歴史博物館「遊就館」。この日ここの第1映像ホールでは『私たちは忘れない!(-感謝と祈りと誇りを-)』というタイトルの50分ほどの映画を一日中繰り返し上映していた。

 「朝鮮独立をめぐって勃発した、日清戦争の結果で、朝鮮は独立の道が開かれ…」「満洲・モンゴル・中国・日本・朝鮮の五族共和をはかる満洲国建設…」「朝鮮・台湾の若者達も一つになって大東亜戦争を勇ましく争いました。私たちは彼らのことも絶対忘れません」など。あきれるほど、隣国民と歴史を蹂躙・歪曲する内容だった。この映画は「争いに勝つことができなくても、精神こそは残り、この子孫は必ず再起三起するだろう」という軍国時代の誓いで幕を閉じた。

 参拝を終えて遊就館に寄った、参戦経験を持つあるお年寄りは、記者に「韓国・北朝鮮の若者と一緒に(米国と)戦い、天皇のおかげで戦争を終わらせることができた」とし「(それだから私たちは)争うことなく仲良くしなければならない」と言った。“靖国的”なこじつけ論法だ。

 8月15日に靖国への参拝客が急増したのは、2001年(8月13日)に小泉総理が参拝を始めたことによる。その前年に比べて実に2倍に増えた。福岡地方裁判所は昨年の初め、こうした事実を指摘して「(小泉参拝が) 靖国神社を援助、助長、促進する効果をもたらした」とし、日本憲法が禁止する「宗教活動」であると認めた。

 今年8月15日に参拜した国会議員は47人で、昨年の65人よりも減った。日本の右翼らが“歴史断絶”の象徴とみなす、小泉純一郎総理の「8月15日参拝」も行われなかった。もちろんその理由は隣国の批判への考慮ではなく、選挙を控え、「靖国」を争点としないための“政治ショー”だ。

 連立与党である公明党は、総理の8月15日参拝を反対して来た。政治家たちの“不振”を日本国民がしっかり埋め合わせした、敗戦60周年だった。


朝鮮日報 2005年08月16日14時47分 朝鮮日報
by miya-neta | 2005-08-18 20:14 | 国 際