学校と私:競争による心の傷は消えない
2005年 11月 21日
団塊の世代です。戦後のベビーブームの最初の時で、受験競争というより受験地獄と言われた時代でした。八戸一中(青森県)では、私たちの代から急に増えて、55から60人近いクラスが14~15あり、1学年700人以上いました。3年生になると、夏休みも冬休みもないような状態で学校で補習授業をやり、授業によって受験組と就職組に分かれました。八戸高では2年で理系、文系に分かれ、3年では成績別の学級。進学校だけに下位のクラスに入れられるとプライドが傷つき、やりきれない。卒業後に町で会っても顔をそむける人もいました。
競争させる人、あるいはユーモアが通じない堅い先生を見てきたもんだから、学校の先生にだけはなりたくないという思いが強かったですね。高校3年の時、給料がよくて、いい生活ができると思って、工学部が第1志望でした。そんな時、出合ったのがロダンの画集。もともと絵を描くのは好きでした。しかし「美術なんかでメシがくえるわけはねえ」と父親に反対され、教育学部の美術に進む折衷案で話がつきました。
ただ、岩手大(盛岡市)に行ってからも人前でものは言えないし、しゃべるのが商売の学校の先生なんか無理だと思っていました。転機になったのは教育実習。盛岡市の中学校でついたクラスが良かった。ベテランの女性教員が担任で、子どもたちと信頼関係がありました。「ああ、教室ってのはこういう雰囲気があるんだな。こういう仕事をやりたい」と思ったんです。
成績別にクラスを分けるのが良いような言われ方をしていますが、下のクラスの子どもにとっては、その傷やしこりはずっと消えません。競争は残酷です。励みになる子もいますが、傷つく子の方がかなり多いと思います。競争させて、勝ち組と負け組をはっきりさせて、勝ち組にもどんどん競争させる社会は、ある意味で袋小路に入ってしまいます。私は大人に聞きたい。今の時代の子どもに戻りたいですか。私はつらいな。自分も、その子ども時代に帰りたくなるような環境をつくることが大人の責任だと思います。<聞き手・長尾真輔>
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■人物略歴
1947年青森県生まれ。八戸市立長者小、八戸市立第一中、県立八戸高を経て岩手大学教育学部卒。中学校教員、岩手県教組委員長などを経て04年4月、日教組委員長に就任。今年10月から連合会長代行も兼任。
毎日新聞 2005年11月21日 東京朝刊
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