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「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

オウム裁判:松本被告・死刑確定 突き進んだ無差別テロ 教団武装「日本の王に」

事件:MSN毎日インタラクティブ


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 オウム真理教(アーレフに改称)の松本智津夫(麻原彰晃)被告(51)に対する死刑が確定した。95年5月の逮捕から11年余。7年以上に及んだ審理の末に、1審判決は「極限ともいうべき非難に値する」と指弾したが、「教祖」は最後まで真相を語らなかった。犠牲者27人、負傷者約6000人。日本の治安を揺るがした一連の事件と公判の経緯を改めて振り返った。【木戸哲】

 松本死刑囚は何をもくろみ、無差別テロへと突き進んだのか。1審判決の認定に基づき再現した。

 ◆生い立ち

 松本死刑囚は55年3月2日、熊本県で生まれた。目が不自由だったため県立盲学校の小学部に入学し、中学部、高等部、専攻科を経て卒業。78年に結婚後、しんきゅう師として生計を立てたり、千葉県船橋市で医薬品の販売業を営んだ。76年には傷害罪で、82年には無許可で医薬品を販売した薬事法違反で、それぞれ罰金刑を受けた。

 ◆宗教の道

 82年ごろから仏教やヨガに傾倒し「麻原彰晃」を名乗って東京都内でヨガ教室を開き、84年に教団の前身「オウム神仙の会」を設立。雑誌や書籍に「空中浮揚」の写真を掲載して「修行すれば超能力者になれる」と説き、86年夏には「ヒマラヤで修行して最終解脱した」と称するようになった。

 87年に神仙の会を「オウム真理教」に変更。自らをオウムの主宰神「シヴァ大神」とコンタクトを取れる「グル」だとして、教団内での立場を絶対化しようとした。核戦争への不安をあおりながら3万人の解脱者が世界に散ることで核戦争が防げるなどと、オウムによる人類救済を説いた。

 ◆教団拡大

 88年10月ごろまでに教団は、布教活動を通じて超能力や死後の世界、解脱、悟りなどに関心を寄せ、現代社会に不安や不満を持ち、松本死刑囚の説く人類救済計画に引かれる若者を入信させ、出家信者は100~200人、在家信者は3000~4000人に達した。

 富士山総本部や東京本部のほか大阪、福岡、名古屋、札幌、ニューヨークに支部を開設して勢力を急速に伸ばす。同年12月には「ハルマゲドン」(人類最終戦争)が不可避として終末感をあおり、オウムによる救済活動の重要性を説くようになる。

 ◆ポア宣言

 松本死刑囚は教団の勢力を一層拡大するため政治力を付ける必要があると考え、90年2月の衆院選に幹部ら24人と共に立候補したが惨敗。同年4月ごろ、幹部ら二十数人を集め「現代人は生きながらにして悪業を積むから、全世界にボツリヌス菌をまいてポアする」と無差別大量殺人の実行を宣言した。菌の培養、核兵器開発などを幹部らに指示し、教団の武装化を強力に推し進めていった。

 中でも、化学兵器のサリン生成の計画が、最も先鋭化した教団を象徴していた。プラントで大量に生成しようと企て、信者にこう指示した。「70トンのサリンプラントを造ってくれ。いきなり大きいのでいこう」

 ◆国家打倒

 94年2月、中国旅行に同行した信者に「97年、私は日本の王になる。03年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇(あだ)なす者は、できるだけ早く殺さなければならない」と説き、武力によって国家権力を打倒して日本にオウム国家を建設し、自らその王となる意図を明らかにした。

 帰国直後には同行したメンバーらに「このままでは真理の根が途絶えてしまう。サリンを東京に70トンぶちまくしかない」とプラント設計を急ぐよう指示。一方、一般信者には教団が武装化を進めていることを隠し、国家権力から毒ガス攻撃を受け続けて危機的状況にあると強調した。国家権力に対する敵がい心をあおるためだ。

 ◆1審断罪

 「国政選挙に打って出たが惨敗したことから、武装化による勢力拡大を図り、ついには救済の名の下に日本国を支配して自らその王となることを空想した」。04年2月27日、東京地裁の小川正持裁判長(当時)はこう述べて、死刑を言い渡した。一連の事件は「被告の悪質極まりない空想虚言のもたらしたもの。換言すれば、被告の欲望の極度の発現の結果だ」と指摘。「犯行の動機・目的はあまりにもあさましく愚かしい限りというほかなく、極限ともいうべき非難に値する」と述べた。

 ◇法廷、異例ずくめ--初公判前日の解任/退廷5回/主任弁護人逮捕

 松本死刑囚の初公判は当初、95年10月26日と指定されたが、前日、唯一の弁護人だった横山昭二弁護士(当時)を突然解任して延期に。東京地裁は国選弁護人に前例のない12人を選任した。96年4月24日の初公判で、松本死刑囚は起訴事実の認否を留保し、1年後に意味不明の言葉を交え大半の事件で無罪を主張。裁判序盤は不規則発言で5回の退廷を命じられた。

 1審公判は結審まで256回、延べ522人を証人尋問した。1292時間の審理のうち、弁護側尋問は1053時間。阿部文洋裁判長(当時)は97年3月の公判で「弁護人は効率的な尋問を工夫して頂きたい。このままなら10年裁判は必至」と異例の見解を表明し、弁護団の姿勢を批判した。

 98年12月には、主任弁護人の安田好弘弁護士が警視庁に強制執行妨害容疑で逮捕され、自らの裁判で「オウム弁護への攻撃だ」と主張した(03年12月に無罪判決を受け、検察側が控訴)。

 一方、検察側は迅速化のため地下鉄、松本サリン事件の負傷者3920人を起訴事実から外し、薬物密造4事件の起訴を取り消したが、判決までに7年10カ月を要した。





 ◇残る審理、12被告に

 一連の事件では、計189人の教団幹部らが起訴された。現在までに、松本死刑囚を含む176人の有罪と1人の無罪が確定(うち有罪の1人は最高裁に異議申し立て中)、審理が続いているのは12人だけとなった。

 1、2審を通じて死刑を言い渡された被告は13人。松本死刑囚以外では、岡崎一明・死刑囚(45)だけが、05年4月に上告を棄却され、既に死刑が確定した。

 林郁夫受刑者(59)は1審の無期懲役判決に対して控訴せずに確定。北村浩一受刑者(38)ら3人は、最高裁で上告が棄却され、同じく無期懲役が確定した。有期懲役刑が確定した167人のうち実刑は80人、執行猶予は87人。ほかに3人が罰金となっている。

 判決が確定していない12人のうち、早川紀代秀被告(57)、新実智光被告(42)ら10人が上告中。無期懲役を不服とした上告は杉本繁郎被告(47)だけで、残り9人はいずれも死刑回避を求めている。1審で無期懲役だった井上嘉浩被告(36)は、2審で死刑を言い渡されて上告している。

 地下鉄、松本両サリン事件に関与した中川智正(43)、遠藤誠一(46)両被告は、地下鉄サリン事件から11年余が経過した現在も、東京高裁で審理が続いている。中川被告は坂本弁護士一家殺害事件にも関与し、教団幹部の中で、松本死刑囚に次いで殺害事件への関与件数が多い。

 ◇最後の釈明--96年・破防法弁明手続き

 松本死刑囚は96年5月15日と28日、教団への破壊活動防止法(破防法)適用を巡り、東京拘置所で行われた弁明手続きで、計約9時間にわたって弁明した。明確な言葉をまとまって語ったのはこれが最後だった。

 ◆奪還拒否

 今日はちょっと緊張しておりまして、言葉が足りないかもしれません。まず、将来においてオウム真理教が破壊活動を行うことは決してないということです。第二に、私の奪還がうわさされていますが、拘置所はコンクリートが厚く、洞穴に近い。個人的には絶好のめい想の機会を得ている。それを阻害するのは何人たりともできないし、私としても拒絶したい。

 ◆反発と従順と

 公安調査庁の事務職員の方にお話ししたい。あなた方(の破防法の手続き)は袋だたきにして裁きを行おうというものです。(逃亡中の信者の出頭要請は)公安調査庁の指導に従って下さい、ということも言っておりますのでマスコミを通じて伝えたいと思います。

 ◆ハルマゲドン

 95年11月の初旬だったと思いますが(イスラエルの)ラビン首相の暗殺によって、世界の首脳が集まりました。この時をもってハルマゲドンは終了したものと考えています。ハルマゲドンを起こせ、起きるとは一言も言っておりません。

 ◆自殺未遂

 破防法弁明の手続きは教祖だった者として責任を持ちます。後ろ髪を引かれる思いだが、代表及び教祖としての立場を退きたい。今日の段階で危険はなくなったと考えております。弟子たちから修行実践を取り上げるのは、死刑宣告よりずっとずっと重いものなのです。本来は私が死ぬのが一番いいのでしょう。破防法の議論が始まって2回ほど自殺を試みた。服を使って10分くらい首を絞め上げてみたのであります。腕の力が弱く死ぬことはできなかったのです。今の環境ではそれ(死ぬこと)は許されない。

 ◇関与否定から意味不明へ

 松本死刑囚は、逮捕前から事件への関与を否定し、裁判開始後は意味不明な発言を繰り返した。その変遷をたどった。

 「弁護士と親によってねつ造された可能性が強い」=89年11月30日、坂本弁護士一家の行方不明後にドイツで会見

 「選管がインチキしたに違いありません」=90年2月、衆院選落選で

 「さあ、一緒に救済計画を行おう。そして、悔いのない死を迎えよう」=95年3月21日、地下鉄サリン事件翌日の教団ラジオ放送で

 「目の見えない私に、そんなことができるでしょうか」=95年5月16日の逮捕後、捜査員に

 「その名前(本名)は捨てました」「(職業は)オウム真理教の主宰者です」=96年4月24日の初公判で

 「この事件につき、すべてを私が背負うことにいたします。反対尋問は中止して下さい」=96年10月18日の第13回公判で、地下鉄サリン事件の謀議を証言した井上嘉浩被告の尋問に反対し

 「精神病と思われるかもしれないが、そこで飛んでみてくれ」=同第13回公判で井上被告に。不規則発言の始まり

 「ウォッ、ウォッ、ウォッ」=96年10月28日、弁護人に大声を上げ接見を打ち切る

 「ここは劇場じゃないか。出してください」「あなたたちがやっているリンチを続ければいい」=96年11月7日の第14回公判で初の退廷命令

 「先生方と約束どおり、黙秘で戦う。そうすれば20年も裁判が続き、その間修行できる」=96年11月18日の接見で弁護人に

 「弁護人を入れ替えて下さい。阿部フミオ(実際は文洋=フミヒロ)裁判長」。裁判長が「フミヒロです」と答えた途端に「上祐フミヒロ(史浩・現アーレフ代表)が遊んでいるのか」=97年1月31日の第24回公判で

 「地下鉄サリン事件ですが、私はストップを命じたが、彼(井上被告)らに負けた。アイ キャン スピーク イングリッシュ ア リトル」=97年4月24日、第34回公判の意見陳述で無罪主張

 「私ははめられた。もうそろそろ私の人生に幕を閉じたい。お願いだから青酸カリをください」=98年5月、拘置所職員に

 「なぜなんだ、ちくしょう」=04年2月27日、1審で死刑判決を受け東京拘置所に戻り

 「大リーグボール3号だ」「甲子園の優勝投手だ」=04年10月20日、拘置所で運動中に投球フォームを行いながら

 「おれは無実だ」=06年3月31日、東京拘置所で

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 ◆1審認定の13事件犯罪事実

 東京地裁判決が認定した犯罪事実は次の通り(いずれも教団幹部らとの共謀、年齢は当時)。

  (1)田口修二さん殺害(殺人)=88年に静岡県富士宮市の富士山総本部道場で起きた在家信徒死亡事件の口封じのため、89年2月、総本部向かいにある独房修行用に改造したコンテナ内で、脱会しようとした田口修二さん(21)の首を絞め殺害。

  (2)坂本弁護士一家殺害(殺人)=オウム真理教被害者の会を支援していた坂本堤弁護士(33)の排除を計画し89年11月4日未明、横浜市磯子区の坂本弁護士方で、坂本弁護士と妻都子(さとこ)さん(29)、長男龍彦ちゃん(1歳2カ月)の3人の首を絞めるなどして殺害。

  (3)サリンプラント建設(殺人予備)=教団武装化の一環として、化学兵器のサリンをプラントで大量生成することを計画。93年11月~94年12月、山梨県上九一色村(当時)でプラントをほぼ完成・作動させた。

  (4)滝本弁護士襲撃(殺人未遂)=オウム真理教被害対策弁護団で活動していた滝本太郎弁護士(37)を排除しようと94年5月9日、甲府地裁西側駐車場に止まっていた滝本弁護士の乗用車にサリンを流入させ、サリン中毒症の傷害を負わせた。

  (5)松本サリン(殺人、殺人未遂)=サリンの殺傷能力を確かめるため、教団進出に反対する住民との裁判が係属していた長野地裁松本支部の裁判官や周辺住民の殺害を計画。94年6月27日夜、松本市内でサリンを発散させ、伊藤友視さん(26)▽阿部裕太さん(19)▽安元三井さん(29)▽室岡憲二さん(53)▽瀬島民子さん(35)▽榎田哲二さん(45)▽小林豊さん(23)の計7人を殺害、住民4人に重傷を負わせた。

  (6)自動小銃密造(武器等製造法違反)=ロシア製自動小銃「AK74」を模倣した銃約1000丁を94年6月~95年3月、上九一色村の第11サティアンなどで製造しようとした。

  (7)落田耕太郎さん殺害(殺人、死体損壊)=94年1月30日未明、上九一色村の第2サティアンで、脱走後に他の信者を連れ出そうと教団施設に侵入した落田耕太郎さん(29)の首を絞め殺害。遺体をマイクロ波加熱装置とドラム缶を組み合わせた「マイクロ波焼却装置」で焼いた。

  (8)冨田俊男さん殺害(殺人、死体損壊)=警察のスパイに仕立て上げようとした信者の冨田俊男さん(27)を拷問したがスパイと認めず、口封じを計画。94年7月10日、第2サティアンで絞殺し遺体をマイクロ波焼却装置で焼いた。

  (9)水野昇さん襲撃(殺人未遂)=94年12月2日、東京都中野区の路上で、教団を脱会しようとした知人の信者を支援していた水野昇さん(82)の後頭部に注射器を使って猛毒のVXを掛け、VX中毒症の傷害を負わせた。

 (10)浜口忠仁さん殺害(殺人)=大阪市の会社員、浜口忠仁さん(28)を警察のスパイと疑い、94年12月12日、同市淀川区の路上で注射器内のVXを掛け、同月22日、中毒死させた。

 (11)永岡弘行さん襲撃(殺人未遂)=オウム真理教被害者の会会長、永岡弘行さん(56)に対し95年1月4日、東京都港区の路上で注射器内のVXを掛け、中毒症の傷害を負わせた。

 (12)仮谷さん監禁致死(逮捕監禁致死、死体損壊)=信者の居場所を聞き出そうと95年2月28日、品川区の路上で、信者の兄の仮谷清志さん(68)を拉致し第2サティアンに監禁。3月1日、全身麻酔薬の副作用による心不全で死なせ、遺体をマイクロ波焼却装置で焼いた。

 (13)地下鉄サリン(殺人、殺人未遂)=警察による強制捜査を回避するため不特定多数の人を殺害して混乱を起こそうと計画。95年3月20日朝、東京の地下鉄3路線の電車内でサリンを発散させ、乗客の岩田孝子さん(33)▽和田栄二さん(29)▽坂井津那さん(50)▽小島肇さん(42)▽藤本武男さん(64)▽田中克明さん(53)▽伊藤愛さん(21)▽岡田三夫さん(51)▽渡辺春吉さん(92)▽中越辰雄さん(54)と、駅員の高橋一正さん(50)▽菱沼恒夫さん(51)の計12人を殺害、乗客14人に重傷を負わせた。

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 ◇松本死刑囚とオウム真理教事件・公判の経緯

 (●は松本死刑囚が東京地裁で有罪認定された13事件)

55・ 3・ 2  熊本県八代市で出生
78・ 1     結婚。千葉県内でしんきゅう院を開業
82・ 7     偽薬を販売したとして薬事法違反で罰金
84・ 2     「オウム神仙の会」を設立
86・ 3     最初の著書「超能力秘密の開発法」出版
87・ 6     「オウム真理教」に改称
88・ 9     在家信者が修行中に死亡、被告の指示で遺体を焼却処分
89・ 2    ●田口修二さん殺害事件
    8     宗教法人の認証を得て東京都に登記
   10     サンデー毎日がオウム批判の連載開始
   10     信者の親が「被害者の会」結成
   11・ 4 ●坂本堤弁護士一家殺害事件
90・ 2・18  25人が立候補した衆院選で全員落選
    5     熊本県波野村(当時)に土地取得
   10・22  熊本県警が国土法違反容疑で強制捜査
92・ 4・ 1  ロシアでオウムのラジオ放送開始
93・ 6・28  東京・亀戸の教団施設で異臭騒ぎ
   11     土谷正実被告がサリンの試作に成功
         ●サリンプラントの建設開始
          池田大作創価学会名誉会長をサリンで襲撃し失敗
94・ 1・30 ●落田耕太郎さん殺害事件
    5・ 9 ●滝本太郎弁護士サリン襲撃事件
    6・27  省庁制の発足式
         ●松本サリン事件。7人が死亡
    6    ●自動小銃の密造開始
    7・10 ●冨田俊男さん殺害事件
    8・12  波野村が教団に9億2000万円を支払い、教団が撤退することで和解
    9     土谷被告がVXの生成に成功
   12・ 2 ●水野昇さんVX殺害未遂事件
      12 ●浜口忠仁さんVX殺害事件
95・ 1・ 4 ●永岡弘行さんVX殺害未遂事件
          教団が上九一色村の工場経営者を殺人未遂容疑で告訴(村でサリン発見と元日に報道され)
    2・28 ●仮谷清志さん拉致監禁事件(翌日死亡)
    3・20 ●地下鉄サリン事件。12人が死亡
      22  警察が強制捜査開始
    4・23  村井秀夫元幹部が刺され、翌日死亡
    5・ 5  新宿駅青酸ガス事件
      16  警視庁が松本被告を逮捕
          東京都庁小包爆弾事件。職員が重傷
    6・ 6  地下鉄サリン事件で起訴
    9・ 6  坂本弁護士と妻都子さんの遺体発見(長男龍彦ちゃんの遺体は10日発見)
   10・30  東京地裁が宗教法人の解散命令
   12・14  地下鉄・松本両サリン事件の遺族・被害者らと国による教団の破産申し立てで、東京地裁が教団全資産を仮差し押さえ
96・ 4・24  東京地裁で初公判。起訴事実の認否を留保
    7・11  公安調査庁が破防法に基づき、教団の解散指定処分を公安審査委員会に請求
97・ 1・31  公安審査委員会が破防法適用を棄却
    4・24  公判で意見陳述。ほぼすべての事件で関与を否定
   12・ 2  審理迅速化のため検察側が地下鉄、松本両サリン事件の負傷者3920人について起訴事実撤回の申し立て(翌月16日に決定)
00・10・ 4  審理迅速化のため検察側が覚せい剤密造など薬物4事件の起訴を取り消し
02・ 4・ 9  検察側立証終了
03・ 4・24  検察側が死刑求刑
   10・31  弁護側が最終弁論を終え結審
04・ 2・27  地裁が松本被告に死刑判決。弁護団は即日控訴し辞任
    6・30  東京高裁が控訴趣意書の提出期限を05年1月11日と指定
    7・ 7  95年3月の国松孝次・警察庁長官狙撃事件で、警視庁が元信者の警視庁元巡査長らを逮捕。東京地検は嫌疑不十分で不起訴処分に
   12・10  東京高裁の須田賢裁判長が松本被告と面会
      27  弁護側が控訴趣意書の提出期限延期を申し立て
05・ 1・ 6  高裁が提出期限を8月31日に延期
    8・19  高裁が被告の精神鑑定を行うと弁護側に伝える
      31  弁護側が延長期限に趣意書を提出せず
    9・ 2  高裁が控訴趣意書提出を強く求める文書を弁護側に送付
06・ 2・20  精神科医が被告の訴訟能力を認める鑑定結果を提出。反論書を3月15日までに提出するよう高裁が弁護側に伝える
    3・15  弁護側が鑑定は誤りとする反論の意見書を提出
      24  弁護側が控訴趣意書の28日提出を表明
      27  高裁(刑事10部)が控訴棄却決定
      28  弁護側が控訴趣意書を提出
      30  弁護側が控訴棄却決定に異議申し立て
    5・29  高裁(刑事11部)が弁護側の異議申し立てを棄却
    6・ 5  弁護側が特別抗告
    9・15  最高裁第3小法廷が弁護側の特別抗告を棄却。死刑確定

毎日新聞 2006年9月16日 東京朝刊
by miya-neta | 2006-09-16 09:38 | 社 会