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「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

最強のビジネスモデルは「鳥山明型」--大阪発、世界目指すソフト開発ベンチャー

CNET Venture View


文:小林 ミノル
2007年05月09日 17時39分

 今年3月、経済産業省後援のもと開催された「TOKYO起業家サミット大挑戦者祭2007」(主催:ドリームゲート)。そのコンペ部門で、グランプリこそ逃したものの、大きな注目を集めたベンチャー企業がある。携帯電話向け映像圧縮技術を発表した大阪のベンチャー「クレイジーワークス」代表の村上福之氏だ。

 村上氏が発表した新技術は、2時間前後という長時間に渡る映像データを70%まで圧縮して携帯電話にダウンロードできるというシステムだ。2GBのSDカードに30分アニメのデータを26話分保存できる。この技術には、まだ名前もつけられていないが、当日、審査をした投資家から、大喝采を浴びたという。

もうPC用ソフトはお金にならない

 「開発期間は1~2カ月ですね。2006年11月ぐらいから開発を始めて、2007年の1月には営業していました。自分の『レッツノート』に、これまで自分が書いたソースコードが入っていて、それをコピペして二次使用することも多かったですから。2005年に大阪府から賞をもらった圧縮技術プログラムとかね。

 ただ、最後の詰めのところで、なかなか映像が動かなくて、何度もテストをしていたんです。その場所が、漫画喫茶だったんですね。漫画喫茶って仕事がはかどるのでよく使うんですよ。で、テスト用に入れておいた『エ●ァ●ゲ●オ●』が動き出した瞬間、『動いた!!』って、叫んじゃったんですよ。朝の3時頃だったので、すぐ隣の席の人から「うるさいわ、ボケーっ!!」て怒鳴られましたね。関西ですから。なので、その後の動作確認は、トイレにいってやりました」

 今回の開発は、アップルの「iMovie」のプレゼンを見て、思い立ったという。「モバイルコンテンツの映像化は、急速に普及するだろう。しかし、おそらく日本人が外で映像を見るようになるとしたら、それはiPodではなく、携帯電話を通じてではないか?」という読みがあったからだ。

 「それと、今回、携帯向けに作った理由は、パソコン用より開発規模が小さくて済むからです。加えて、もうパソコンのソフトがお金になる時代じゃないんですよ。いまから『フォトショップ』を超える画像処理ソフトを開発しても誰も買わないでしょ。『ワード』より書きやすいワープロソフトをいまから莫大な資金を投じてつくっても仕方がない(笑)」

 実は、クレイジーワークスの社員は村上氏一人しかいない。たった一人で経営、開発、営業まですべてを行っているのだ。某大手メーカーのエンジニアだった村上氏は、独立後の2004年、「FQUARE」という会社をまず立ち上げる。受託業務を中心に、技術を身につける日々だったという。しかし「受託ばかりだと男のロマンがないから、黒子の仕事もしつつ、たまには舞台に立ってみようかな」と新たな目標を設定し、資本金1000万円で設立したのが「クレイジーワークス」だった。

 「コア技術って人がかからないんですよ。多くの携帯電話で使われている、エンコーダとかデコーダソフトは、ほとんど一人でつくられていて、それに対してメーカー側は、ものすごいお金を払っているわけです。だから、“社長=プログラマー”というビジネスモデルもありなんじゃないかなと。

 ご存知のように、ソフトウェア開発は常識が通用しない世界なんですよ。少人数で収益率の高いものができるんです。だから、最強のビジネスモデルって「鳥山明型」だと思うんです。鳥山明って、アシスタント数人と本人だけですごい付加価値の高いものを生産し続けてるじゃないですか。それで、ずっと長者番付にも登場していた。そういうふうな会社にしていきたいと思っています」





弱小者が勝てる唯一の必殺技

 1975年生まれの村上氏がプログラムに興味を覚えたのは小学校4年の頃だ。MSXやファミリーベーシックに触れながら、「MSXファン」に投稿するマイコン少年だったという。大学も情報学部に所属していたが、本当に鍛えられたのは会社に入ってからだった。会社員時代は、プリンタドライバ、MP4カメラ、液晶プロジェクタ、USB関連のドライバなどの開発に携わっていた。

 「会社に入ってから、偉い人にいっぱい鍛えられました。大学の頃は自分が最強だと思ってたんですが、メーカーに入ったら自分が“ヤムチャ”(鳥山明原作の『ドラゴンボール』に出てくるキャラクター)だったことに気づかされたんです。まわりには、自分より全然強い“フリーザ”(同)がいっぱいいて、いじめられました。会社には5年間在籍してたんですが、そのおかげで”天津飯“(同)ぐらいまでには鍛えられたんじゃないですかね(笑)」

 起業のきっかけは退社後に経験した1年間のオーストラリアへのワーキングホリデー。2003年にバックパックとレッツノートだけで放浪しながら、無人島での自然保護、ファームステイなどを体験しつつ、システム開発やHPの作成などもしていた。帰国後には、オーストラリアコンピュータ協会から推薦状をもらって永住権も手に入れた。

 「最初は、転職しようとしたんですね。でも、日本でも海外でもやっていることに変わりはないんですね。結局、『2ちゃんねる』を見て『秀丸』を開いてポチポチとソフトウェア開発をやるわけじゃないですか。ということは、ほかのメーカーに就職しても変わらないんじゃないかと。

 “じゃあ”と思って、会社を起こしたわけです。親には泣いて反対されましたけど。僕もいちおうエンジニアですから、ダメなら派遣会社にSEとして登録すればいいし、それもダメなら、コンビニで働けばいい話だし。でも、企業したら、すぐに受注がモリモリ入ってきて、忙しかったですね」

 「一番乗りこそ、弱小者が勝てる唯一の必殺技なんですよ」と語る村上氏。社員を急激に増やすことは考えず、付加価値の高いものをつくって世の中に提供することの方が、はるかに大事だと考えている。

 「基本的には“What I want”でやっています。やりたいことを、やりたいように、そこはかとなくつくって世の中に貢献するのが、エンジニアの役割じゃないですかね。前の会社で教えられたことは、『モノをつくるまえに人をつくる。いいものをつくって世の中のために頑張る。適正な値段でものをつくれば、世の中のためになる。そうすると、みんなが儲かり、みんなの給料も上がる。いいことや』ということなんです。別に金のためだけにやってるわけじゃないんです。『映像や漫画やゲームのテクノロジーをつくって、世の中に出したらおもしろいんじゃないの?』という気持ちが、先ですね、最近の起業家が、“金、金”って言うのを聞いてるとちょっと鬱になるね。『AERA』の表紙は飾りたいけど(笑)」

 現在、新技術を売り込むために、東京のコンテンツ会社に営業する毎日だという。正直、エンジニアであるため営業や交渉は得意ではないが、今後もアニメやゲームなどコンテンツ関連のシステムを中心に「やりたいことをやって、世に出していく」という姿勢には、1ミリのブレもない。
by miya-neta | 2007-05-10 11:54 | 科学/技術