坂上田村麻呂の墓か=山科の西野山古墓-京大准教授、清水寺縁起で研究
2007年 06月 04日
2007/06/04-16:47
平安時代の征夷大将軍で、清水寺を建立した坂上田村麻呂の墓は、1919年に発掘された京都市山科区の「西野山古墓」である可能性が非常に高いことが4日までに、吉川真司京大大学院准教授(日本古代史)の文献調査で明らかになった。奈良、平安時代の上級貴族の墓が特定されるのは珍しいという。
清水寺の起源をまとめた平安時代後期の書物「清水寺縁起」に、田村麻呂の墓地として水田や畑、山林を与えよという命令書「太政官符」が収められている。吉川准教授は「山城国宇治郡七条咋田西里栗栖村」という場所に注目。平安時代の地図で地域を特定すると、西野山古墓が含まれていた。
西野山古墓は周囲を木炭で覆った木の棺で、中から金装太刀や金銀平脱双鳳文鏡といった豪華な副葬品が見つかった。上級貴族の墓と考えられていたが、誰の墓か特定されていなかった。
吉川准教授は、西野山古墓の場所や副葬品、時代から、同古墓が田村麻呂の墓であることが「最も妥当」と結論付け、近く発表する。