「競争のない社会こそ、格差社会ではないですか?」 渡邉 美樹
2007年 06月 28日
2007年6月28日 木曜日 渡邉 美樹
私は、あらゆる場で「公的サービスもマーケットメカニズムにもとづいて自由競争したほうがいい」と主張しています。一方、私のこうした主張に反発される方がいらっしゃいます。そういった人たちは「マーケットメカニズムにさらされると必ず格差が生じる」「アメリカの医療のように公的サービスが崩壊する」と反論し、「渡邉美樹という男は、ただのマーケット至上主義者にすぎない」と断じます。
ここで、はっきり申し上げたいのですが、私は資本主義市場経済を絶対的な原理だとはこれっぽっちも思っていません。もちろんマーケット至上主義者でもありません。あえていうなら、「消費者至上主義者」です。
私にとってマーケットメカニズムとは、サービスを通じてお客さまに幸せになっていただくための道具であり、より多くのお客さまからの「ありがとう」を集めるための手段にすぎません。
ですから「ありがとう」を集めるための手段としては、ボランティアでも、NPOでもいいのです。アメリカでは教会のチャリティーや各種の財団を通じて、毎年莫大な額の寄付が集まります。私自身も、発展途上国の子どもたちを救うためのNPOを主宰しています。
ただし、基本的にボランティアやNPOは社会的弱者や社会の不平等を救う一種のセーフティーネットの役割を果たすものです。
日本が資本主義市場経済社会国家である以上、もっともパフォーマンスの高い道具がマーケットメカニズムであるというのは、ゆるぎない事実でしょう。より優れた経済体制があるわけではないのですから、私たちはマーケットメカニズムをもっとうまく、もっと多くの人の幸せを生む道具になるよう使いこなしていくべきではないでしょうか。
そもそも、私を批判する人たちがなんとか維持しようとしている今の社会体制は、ほんとうに公平で平等で格差がないのでしょうか?
いたるところに、従来「公」の担い手だったはずの「官」=役所と「政」=政治家とが手を出し、口を挟み、自由な競争を阻害している社会。その仕組みの中にどっぷりと浸かった者だけが利益を得、一方で懸命に競い合い努力をしている人や企業が正当な果実を受け取れない社会。こちらのほうこそ、むしろ格差が固定化された歪んだ社会ではないでしょうか。
そして、「官」と「政」の支配による歪みがもっとも端的に表れているのが、本コラムで取り上げる公的サービスの分野なのです。
一例をあげましょう。
(つづく・・・)