人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

【正論】激震、参院選 京都大学経済研究所所長・西村和雄

正論|論説|Sankei WEB


■教育再生を行き詰まらせるな

■「新学力観」排除へ超党派で政策を

 ≪臨教審の答申のその後≫

 7月29日の参院選挙では、与党が大敗して過半数割れし、民主党が参院の第一党になった。しかし、これで教育再生が行きづまることがあってはいけない。安倍政権の下での教育再生会議の提言の今後は、中曽根政権の下での臨時教育審議会(臨教審)の答申を見直すことで、予想ができよう。

 臨教審は、1984年8月21日に岡本道雄京都大学学長(当時)を会長とする25人から構成された。臨教審は幼保一元化、小学校の低学年での理科と社会の統合、選択教科の拡大、内申書重視、単位制高校、中高一貫教育の導入などを答申し、その後実現している。

 また、学習指導要領の内容を大綱化し、教科書検定を簡素化、教科書の質の上昇、創意工夫の促進、地方分権の促進なども答申していたが、これらは実現していない。

 教育の「自由化」は、文部省の反対により、「個性の重視」に改められたが、それを可能にする少人数学級などの環境整備はなされなかった。

 結果としてできた答申は具体的な推奨事項の羅列になり、文部省の既得権に反しない事項のみが実行されていった。そのため、学習指導要領や教科書検定の弾力化などは実現せず、学力が大きく低下していく原因になったのである。

 ≪「ゆとり教育」理念の誤り≫

 さて、教育再生会議であるが、安倍政権の教育改革には2つ大きな課題があった。1つは「教育基本法の改正」であり、もう1つは「ゆとり教育の見直し」である。その1つ、基本法の改正は実現した。これまでの提言には、他に教員免許制、教育委員会の見直し、徳育の教科化、9月入学など、具体的な推奨事項が並んでいる。自らの既得権に触れないこれらの事項を文科省は、実行してゆくことであろう。

 しかし、検定の弾力化や教科書の改善につながる指導要領の改訂を実行するかは、かなり疑問である。

 もちろん「ゆとり教育の理念は間違っていなかったが、やり方が間違った」という主張もある。しかし「社会主義の理念は正しかったが、方法が間違っていたからソ連は崩壊した」と聞いて納得する人は、少ないであろう。理念が間違っていたからこそうまくいかなかったと考えるのが普通である。

 「ゆとり教育」を支える理念、それは1987年の教育課程審議会の答申によって登場した「新学力観」である。科目選択性の拡大や、総合学習の導入、そして関心・意欲・態度などを点数化して、教科の評点に加味する絶対評価は、新学力観による。

 「ゆとり教育の見直し」とは、新学力観を教育行政の場から排除することでなければならない。そして、臨教審で議論しながら置き去りにされ、それ故に改悪されてきた指導要領、検定、教科書の内容を見直すことである。そうでなければ、日本の教育は一向に良くならないであろう。

 ≪拉致問題と似た構図≫

 北朝鮮の日本人拉致問題は、安倍首相が小泉政権の官房副長官の時代に、日本政府として初めて正面から取り組んだ。教育政策の問題も、ある意味では安倍首相が初めてと言ってよい。実は「拉致はない」と言っていた人は、自民党にも民主党にもいた。「学力低下はない」と言っている人たちも同様である。ゆとり教育の背景には、残念ながら、北朝鮮の拉致問題と非常に似た構図がある。

 日本の教育の改善とは、公教育の底上げである。ゆとり教育の下で進学の機会を奪われ、学力を低下させられてきたのは、より低所得の地域や家庭の子どもたちである。公教育の中での学力向上策に勝る格差対策はない。

 アメリカの教育政策の転換に影響があったエリック・ハーシュは、著書『教養が国をつくる』の中で「何よりも主として責められるべきは、アメリカの学校に普及して、教育政策決定者が受け入れた欠陥のある教育理論だったのである」と述べている。教育再生の成功は「新学力観」を排除することができるか否かにかかっている。

 これまで、ゆとり教育の見直しにはっきりと言及した文科大臣は、中山成彬氏だけである。改革の成功は官僚の抵抗を排することができるか否かにかかっている。そういう意味でも、中山成彬氏の再登板を期待する国民は多い。

 また、ゆとり教育の見直しに焦点を当てるなら、今後、超党派的な課題として政策化してゆくことも、また可能であろう。(にしむら かずお)

(2007/08/05 05:02)
by miya-neta | 2007-08-05 05:02 | 教 育