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「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

地域なくして改革なし、加藤紘一氏が語る福田政権の課題

「改革の影」を語る勇気を (ニュースを斬る):NBonline(日経ビジネス オンライン)


2007年9月25日 火曜日 水野 博泰

工藤 福田新総裁の話が本題ですが、その前に、安倍政治をどう総括するのかについて伺いたい。

加藤 よく考え込まれなかった政治だったように思います。あえて言えば小泉政治の流れを汲んだソフトな政治でしたが、人気で何となく成立してしまった内閣だった。
 安倍政権に問われた課題は大きく2つありました。1つはアジアの国々に対する外交はどうあるべきかという大テーマですね。もう1つ、非常に大きなテーマは、“構造改革”とか、“市場原理”とか、“できるだけ民間へ”というのは、いったい何に基づいて、どういう理念で行うべきなのかを再検証することでした。

 ところが、安倍さんは総理になる時に、“再チャレンジ”ということを言い出した。僕はこれは違うんじゃないかと思いましたね。再チャレンジというのは、まず競争で優劣を決め、敗れた人間に対して再びチャンスを与えるということですよね。基本が競争原理なんですよ。利潤原理に基づく競争社会が前提なんです。改革の「光と影」が論じられ始めた時でしたから、きっと限界にぶつかると思っていました。改革の善し悪し、光と影を真正面から論じなかったことが、安倍さんの敗因だったと思います。

工藤 しかし、改革の継承も中途半端だった。

加藤 “改革”とはいったい何でしょうか。グローバライゼーションに対応できるようにすることというのが竹中(平蔵)さんの論理でしょう。貧しい論理です。ああいう方が5年間、日本の政治を小泉さんに代わってつかさどって、この国を滅茶苦茶にしてしまったんだと思います。

 だから、安倍さんは、「改革は良いことだ。しかし、影の部分がある。小泉先輩の残した影をどうやって癒やしていくのか、修正していくのか。簡単なことではないが、一生懸命やっていく」という姿勢を示すべきだった。そうすれば、参院選の時に、あれほどの反発を地方から受けることはなかった。肝心なところを論じないで憲法改正の強行採決みたいなことをやるものだから、皆、怖くなったんだと思います。

まずは「信頼の回復」、そして「改革の影」を語るべき

工藤 福田政権にも、改革の影の問題に取り組むという課題が引き継がれるわけですか。

加藤 福田さんは、改革を継続するのか、改革の光の部分はいいとして、どこに影があるのかということを明確に語らなければいけない。そして、「これからの日本の姿」について、具体的に踏み込んで語ることが求められていると思います。

 安倍さんの「美しい国」というのはよく分かりませんでした。本気でこの国の将来を考えるなら、自然とコミュニティー、人間の集い、その根底にある風習、宗教、哲学みたいなものも含めて考えなければいけない。日本人が落ち着きを感じるのは何物かという議論を突き詰めていかなきゃならないと思います。

工藤 福田さんには、具体的には何ができるのでしょうか。

加藤 十分な準備なしに突然、自民党総裁候補になりましたから、演説もあまりはっきりとしてないかもしれません。これからですよ。

 今、最も大切なのは、国民が政治家の言ったことを信じられるかどうか、信じる気になるかということです。国民は小泉さんのことを信じて、そしてあの“政治劇”が面白いと思って7年間近くを任せた。ところが、ふと見たら自分の周囲のコミュニティーは壊れてしまった。商店街もなくなった。町内会も学区も荒れた。自分の財布も薄くなったということに気づくわけです。

 パフォーマンスではなくて、もっと地道に考えたいと国民が感じている時に出てきたのが、福田、麻生の2人なのです。この2人だったら、福田さんの方が信頼できそうだな、落ち着くね、話を聞いてみたいなという気持ちになるということでしょう。

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P.2

工藤 福田政権の最初の課題は、“信頼の回復”だというわけですか。

加藤 今の日本には、落ち着きと癒やしが必要なんですよ。もちろん、任せてみて落ち着きを取り戻したのはいいが何も変化がないとなると、「おい、おい、おい」ということになるでしょうね。

 基礎科学研究と産業技術開発の面では、韓国のサムスンはもとより、中国の企業、精華大学なんかと激しい競争をしていかなければならない。そうこうしているうちにインドも入ってくる。いや、もう既に入っている。厳しいグローバル競争の世界です。

 でも、そうやって世界を相手に競争している日本人が戻ってきた時に、落ち着く場所がこの日本からなくなりつつある。「家族」「地域コミュニティー」「働く場」のそれぞれにおいて、豊かな人間関係のあるゲマインシャフト的安らぎの場所が失われてしまった。

 政治が家庭の内部まで口を出すことはできませんから、地域コミュニティーや地域社会でそこを補ってもらうしかありません。私は、具体的には公立の小中学校区だと思っています。

 神社とか、お寺の檀家衆といったコミュニティーは、もうなかなか成立しないのです。会社でも仕事以外のつき合いは昔ほどありませんよね。課長が今晩一杯飲みに行こうと言っても若手社員からはあっさり断られてしまう。残っているのは、子供の教育を通じた人間関係のネットワークなんです。東京にもありますが、地方ではこれがとても大切にされている。

改革を進めるためにも「地域社会」を壊してはならない

工藤 そもそも小泉さんが言った構造改革というのは「小さな政府論」であって、サッチャー(英元首相)なり、レーガン(米元大統領)が進めた新自由主義の流れを追ったものでした。自民党はそういう政党に変わったんですか、変わっていないんですか。

加藤 変わり始めていたんです。保守勢力というのは、地域社会の中から生まれたリーダーシップです。自民党とは、そういう人が結集した政党なのです。その自民党が地域社会に対して市場原理をどんどん導入し、小さな政府を目指すと言うのですから、コミュニティーが壊れた部分の補強が必要になる。必然的に生まれてきたのがNPO(非営利組織)なんです。改革を進めるためには、同時に地域コミュニティーを活性化することが不可欠なのです。

 市場原理やグローバライゼーションの限界について理論的に議論しなければなりません。そこを飛ばして、マネーフローまで持ち出して市場原理を進めたのが米シカゴ大学のミルトン・フリードマンさんであり、それが英国に飛び火して、キース・ジョセフという下院議員がブレーンとなってサッチャー政治のシナリオを書いた。そして、レーガン政権に行き、1周遅れで中曽根(康弘元首相)さんのところに来た。

 フリードマン氏は実体経済以上にマネーフローの力で社会をがらがらと変えていきました。それが実物経済に結びついているマネーフローならいいんだけど、架空の世界を作りすぎたように思います。私が許せないのは、学校にバウチャー制度を導入して、教育の世界にあまりにも安易に競争原理を持ち込んだことです。あの人の限界は、そこではっきりしていたのだと思います。

 ところが、米国でネオコンが凋落し、ブッシュ大統領が中間選挙で負けました。それと時を同じくしてフリードマン氏が世を去った。今は転換期なんですよ。

 市場原理主義やグローバライゼーションといえども、人命や人権を損なうようなことをしてはならない。これは公理です。日本においては、地域を根底から壊すような競争原理は許さないということを第2の公理として主張したい。これは私が勝手に言っていることですが、今、日本人の多くが求めているのはその部分なのではないでしょうか。

 しかも、政府は小さければ小さいほどいいという考え方にも限界が来ている。減らすべきところは減らす一方で、増やすべきところは増やさないといけない。昔のような大きな政府にはならないけれども、どこまで大きくしていくかという判断は、選挙におどおどする政治家にはなかなかできない。しっかりと基準を作れるのは地域社会しかないんです。

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つづく・・・
by miya-neta | 2007-09-25 08:48 | 政 治