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「二条河原落書」のネタ帳


by miya-neta

寺脇研氏語る「それでも、ゆとり教育こそ最適なのだ」

週刊ダイヤモンド』特別レポート|ダイヤモンド・オンライン


ゆとり教育を推進してきた元文部科学省審議官は、今日の揺り戻しに疑問を発する。まだ成長を望むのか、いつまで競争志向なのか、知的欲求を育む教育こそ、共存共栄を志向する成熟社会に最適なのではないか、と。(聞き手:『週刊ダイヤモンド』副編集長 大坪亮)

寺脇研氏語る「それでも、ゆとり教育こそ最適なのだ」_b0067585_8275971.jpgてらわき・けん●元文部科学省大臣官房審議官 東京大学法学部卒業後、文部省入省。「ゆとり教育」の推進役を務める。文化庁文化部長などを歴任、2006年退職。現在、京都造形芸術大学教授、映画評論家。(写真:加藤昌人)

――2006年のPISA調査で、日本の子どもの学力順位が2003年から急激に下がった。「ゆとり教育」の弊害ではないか。

 それは数字のトリック。03年の調査参加国は41ヵ国で、06年は57ヵ国。16ヵ国も増えたのだから、順位が下がるのは当然。「順位は低下傾向にある横ばい」と見るのが正しい判断だ。

 また、PISAが測っているのは、ゆとり教育が推進した「考える力」だから、現状の教育をきちんと続けていけば直に成果は出る。即効性のある分野の話ではない。

 ただし、OECD諸国は皆同じように必死になってこの分野の教育に力を入れているので、順位アップは保証の限りではない。フィンランドが1位である理由は、こうした教育にいち早く注力したからだ。

 でも、何位だろうが、絶対評価で見て日本の子どもたちの「考える力」が向上するなら、それでいいではないか。

――順位が出る国際調査に世の中は敏感だ。「日本の国力は衰退していないか。未来を託す子どもの学力低下は心配」という人は多い。

 驚くばかりだ。いまだに日本経済は右肩上がりで成長しなければいけないとか、世界第2位の経済大国を維持したいなどと考えている人がこんなにも多いのか、と。

 昔から全然変わっていない。戦前も英米と肩を並べるまで急成長していき、途中で無理が顕在化したにもかかわらず、止められなくて破滅した。同様の錯覚による失敗をバブル経済で繰り返した。そろそろ、成熟社会への脱皮に向けて目覚めてもいい頃だ。

 ゆとり教育を批判する人びととは、国のあり方についての基本的な考え方からして合わない。だから、教育議論もかみ合わない。

――どういうことか。

 そもそもゆとり教育の考え方は、1980年代の土光敏夫氏の臨時行政調整会に端を発する。「成熟社会へ移行しよう。世界と競争する社会から共存共助する社会へ移ろう」と考え、政治経済体制を改革した。それを引き継いだ中曽根内閣で臨時教育審議会を設け、教育改革に着手し、ゆとり教育として結実した。


 それがバブル経済で浮かれ、その崩壊で景気回復一辺倒に変わってしまった。小泉政権、安倍政権で景気がひと息ついたら、再び「経済大国の夢をもう一度」みたいな風潮に変わっている。

――成熟社会の教育を施せ、と?

 経済学が示すとおり、先進国は脱工業化し、知的人材が経営資源となるソフトウエアや金融などの第三次産業が主流となる。そのための人材を育てる教育が望まれるはずだ。
 
1970年代までの経済成長期には、製造業を中心とした企業が、均一な質の労働者を必要とした。命じられたままに仕事をこなす労働者を育成するには、詰め込み式で「読み、書き、計算」がきちんとできる人材教育でよかった。

 しかし、今は違う。第三次産業で必要なのは、「自分の頭で考え、付加価値を創造する力」を持った人材だ。そうした人材は、詰め込み式の教育では育たない。


自分の頭で考え、
行動し奉仕する学生が増えた


――子どもの自主性尊重が強調されるあまり、学級崩壊などの問題が起きたりもしている。

 過渡期の一時的な現象でしょ。制度や思想を転換するのだから多少の混乱は仕方がない。でも、今ではほとんどない。ゆとり教育を10年以上続けてきて、昔の「右向け右」式教育とは違ったスキルを教員が身につけている。

――知識面での学力低下問題もしばしば指摘される。

 バランスの問題だ。確かに今の大学生は昔と比べれば知識の絶対量は少なくなったかもしれないが、「自分の頭で考える力はついている」と評価する大学教員は多い。

 ボランティア活動をしている学生も多い。集中豪雨などの災害が起きると、各大学で救援活動グループが自然発生して大勢が参加する。20年前には想像できなかったことだ。こういう人材が、グローバル社会で共存共栄していくために求められているのではないのか。すべてがそうだとは言わないが、ゆとり教育の効果が出てきた一面だ。


――公立中学では十分な学力が身につかないと心配して、私立中学の受験ブームが起きた。

 ゆとり教育は、生涯学習の思想に立ち、学校も多様化したほうがいいと考えている。私立中学の受験ブームだって、子どもが幸せになるなら、それもいいだろう。

 しかし、にわかに顕在化している問題がある。有名私立中学に入学したのはいいが、そこでのハイペースな授業についていけなくなって落ちこぼれてしまった生徒が増えている。私立では面倒を見切れなくなって退学させられた子どもは公立校に行くが、そこでも打ち解けずに引きこもりになってしまうケースもある。子どもが、画一的な思考から抜け出せないおとなの犠牲になっている。


頭や心が固まってから
思考力の育成では遅い


――新学習指導要領の答申は、どう見るか。

 理念は変わっていない。マイナーチェンジだと思う。

 授業時数を10%増加したり、最小限教えなければいけない学習内容の基準を高めたりするのは、明らかに後退だと思う。ただし、知識レベルの学力低下を問題視する人も多いのだから、国としてその声に配慮するのは仕方がない。

 総合学習の授業数が減るのは、その目的である「考える力の育成」の方向性が浸透して、通常の授業でその面を取り入れられるようになったことの表れだ。

――思考力育成は中学生以降に始めるのではダメなのか。

 それでは遅過ぎる。小さな頃から、柔軟に思考する力を養っていかないといけない。頭や心が固まってしまってからでは遅過ぎる。そういう教育に少しずつシフトしようとして、92年に小学1~2年生に「生活科」の時間を週に3コマ、02年から3~6年生に「総合的な学習の時間」を週2コマ導入した。目くじら立てて批判する人びとがいるが、少しずつの変化だ。

 勉強に向かう意欲の低下が問題になっているが、それは先進国共通の課題。定職に就かなくても生きていける豊かな社会に生まれた子どもに、「将来に備えて勉強しろ」と言っても無理がある。自ら学びたくなるように仕向ける仕組みが必要だ。それは、知的欲求を育む教育、つまり、ゆとり教育だ。

(聞き手:『週刊ダイヤモンド』副編集長 大坪亮)
by miya-neta | 2008-04-19 08:34 | 教 育