日経ビジネスオンライン
2009年6月22日(月)
叩きたいのは世襲か、自民党か~『世襲議員のからくり』
上杉 隆著(評者:加藤 亨延)
文春新書、710円(税別)
加藤 亨延
小泉、安倍、福田、麻生と世襲議員による首相が続いている日本。国会内においても、自民党は現職の40%、民主党のそれは20%になるそうだ。なぜ、それほど国会議員の世襲が多いのか? 本書では、国会議員の秘書経験もあるフリージャーナリストの著者が、その疑問を様々な政治家の実名を挙げながらひも解いていく。
まず著者が噛みついたのが、突然の辞任劇により世間の非難を受けた安倍と福田、そして現首相の麻生である。
〈父親(評者注:安倍晋太郎)の死期が近づき、無念の臨終を迎えるという時期に、隣の部屋でゲームに興じていた〉
〈学生からそのまま実父(評者注:福田赳夫)の秘書となり、政治の訓練を受けていたのは、(評者注:伊香保温泉横手館に養子に行き、その後食道ガンで亡くなった)弟の横手征夫の方だった〉
〈これから選挙に出ようという時だから気を遣ったのか、麻生が皆にお茶を淹れようとした。ところがどうすればいいのかわからない〉
著者は、〈世襲の場合、お金の苦労、生活苦労等が一般の人よりも少ない。甘えがある。だから安倍、福田両首相のように投げ出す。他人の苦しみがよく分かっていない〉という鈴木宗男のコメントを引き合いに、関係者の証言を元に“胆力のなさ”を次々と挙げていく。
つまり経済的に非常に恵まれた生育環境が、現状を実感させる力を乏しくし、それが格差社会という現状を認められず、効果的な政策を打てない要因ではないかと主張しているわけだ。
一通りの糾弾が終わると、「世襲議員のからくり」の解題だ。
「カバン」「地盤」「看板」も丸ごとバトンタッチ
まず「親の政治資金団体を非課税で相続できる点」を指摘する。政治家の相続方法は2通りある。1つ目は、子供が新たな政治資金団体を作り、そこに資産を移す方法。これだと政治団体間の寄付となり課税されない。もう1つは、親の政治資金管理団体をそのまま引き継ぐ方法。こちらも同様に課税の対象に入らない。
こうした相続の抜け道は、法的に認められているわけではなく、政治資金規正法に明確な規定がないために“結果として”可能となるそうだ。
次いで、「後援会組織の世襲」を取り上げる。日本では伝統的に、候補者が後援会組織に多額の金をつぎ込み自前で育ててきた経緯から、それを赤の他人に渡すのは忍びがたいと感じてしまう。よって後援会組織が家業化するそうだ。また後継者として秘書だった人物が何人も出馬した場合、その争いによりせっかく築いた組織が分裂する可能性もある。したがって、息子なり血族を頭領にしたほうが、万事まとまりが良いというわけだ。
そして、ご存知「看板」と呼ばれる知名度の世襲である。「鳩山」「麻生」「小泉」「石原」などの苗字を政治的なブランドとして活用するほかに、極端な例として、氏名すべてを“襲名”する場合もあるそうだ。
その好例が、茨城県選出の中村喜四郎・衆議院議員。彼の名は「伸」だったにもかかわらず、出馬に当たり法的にも「喜四郎」と改名し、参議院議員だった父の名前をもらった。結果、父親と同じ代表者名で後援会を引き継ぐことができ、所在地も会計責任者名も変える必要がなくなった。慣れ親しんだ氏名を投票用紙に書けることは、後援会員に大きな安心をもたらすともいう。
これら「カバン」「地盤」「看板」という、選挙に必須の「三バン」を世襲議員はいともたやすく受け継いでいく。新人候補にも関わらず、選挙での圧倒的な優位性が確立されるのだ。
この事実を踏まえ、著者は世襲比率が低い欧州の選挙制度に、その解決策を求めようと試みた。特に、欧州の中でも同じ議院内閣制を採用している英国こそが、日本の「世襲のからくり」を砕く手本になるのではないかと訴える。
著者は、〈英国では、特に世襲を禁止する法律はない〉と前置きし、英国議会下院には世襲議員が少なく(下院全体で3%未満)、“胆力のない”議員が選ばれにくい理由を列挙する。
例えば、政党は候補者を政治家として有能と思われる順に安全な選挙区へ鞍替えさせたり、初めて立候補する場合などは、わざと対立候補の強い選挙区から出馬させて鍛える(=負けさせる)こともあるそうだ。選挙区の移動が頻繁に行われ、国会議員の地元意識はほとんどないという。また選挙に限らず、公認候補の選定にも数回にわたる厳しい選抜が党内で行われ、候補者は党員から浴びせられる鋭い質問に答えなければならない。
結果、国会議員による地元への利益誘導を防ぎ、演説(討論)能力など真に政治家として資質があるものだけを国政へ送り出す、英国政治が実現しているのではないかと著者は述べている。
ただ、私が思うに、著者の主張には2つほど付け加えるべき点が存在する。
まず、英国人の演説(討論)能力の高さは、そもそも選挙や公認候補の選定だけで磨かれるわけではない。その背景には、日頃から討論が重視される「教育」という下地がある。
授業は先生から一方的に与えられるものではなく、初・中等教育においても、クラス内で1つのテーマに沿い自らの考えを述べる討論に、多くの時間が割かれる。成績もペーパーテストの結果だけではなく、プレゼン能力が加味される。したがって、まずは教育内容の改革から始めねば、著者が主張する意味での政治家の資質の底上げは、叶わないであろう。
次に、連合王国である英国は、日本よりはるかに地方分権が進んでおり、スコットランドやウェールズなどの地方は、かなりの政策決定権を持つ。つまり中央集権的な日本の政治状況とは異なり、英国では地方のことは地方が行えるため、国会議員が国から地元へと利益誘導する発想自体が意味をなさないのだ。
民主党議員の世襲は見て見ぬ振り
世襲議員に対し厳しく疑問を呈する本書は、最後に〈国民の意思が世襲を断ち切る〉と題し〈結局は、それを正すのも許すのも有権者、つまり国民の意思しだいなのである〉とまとめている。
無論、これは正論であり、世襲問題を解決する根本に違いない。しかし、そのあるべき「国民の意思」が容易に実現可能であれば世襲問題はすでに解決しているはずであり、現在それができていないがために、問題が起こっているのではなかったのか。このような安易な議論のまとめ方では、せっかく今まで著者が主張してきた事柄が、途端すべて水泡に帰してしまう。
また、全編を通して議論が一方的過ぎる点に、いささか説得力の弱さを感じた。『官邸崩壊』で安倍政権の内幕を扱った著者だからか、本書中でも安倍批判が目立ち、他にも多くの自民党議員が批判対象とされている。中曽根弘文に至っては、個別の理由もなしに「ひ弱」と決めつけられている。
もちろん、「上杉隆」という一個人が書き上げた本なので、そこに必ずしも公平さは要さない。自民党に世襲議員が多いのも事実だ。しかしながら、自民党議員の糾弾だけにとどまらず、民主党議員の現状も著者独特の痛快さで、もっと白日の下に晒してほしいと感じたのは私だけではなかろう。著者が秘書として働いていた鳩山家の話も登場するが、他の議員に比べて論調が緩いようにも読める。
事の是非を考える場合、対象の功罪を様々比較してこそ、その本質に迫れる。一方向の議論だけでは単なる“悪口”の域を出ることはなく、それこそ英国における“実のある討論”には遠く及ばず、日本お得意の“実のない演説”に留まってしまうのではないか。
本書には多くの政治家が実名で登場する。「国民の意思次第」という結論の甘さと、議論の薄さに物足りなさは残るが、日本政治の生臭い内実をえぐりとる筆致は気持ちよいし、秘書経験のある著者ならではの視点と情報で、政治と選挙の裏側を垣間見られる点では、価値も感じられる本だと思う。
(文/加藤 亨延、企画・編集/須藤 輝&連結社)